きのうの日記を書いたあと、高校生のとき、青函連絡船の休業にともない開通したばかりのブルートレイン寝台特急「北斗星」に乗ったことを思い出した。
時は2月のスキーシーズン、上野から札幌まで走行1200キロ超、16時間の旅である。別に乗りたくて乗ったわけではない。東京の病院を退院し実家のある北海道に帰るのに、飛行機のチケットがとれなかったのだ。
いまでも憶えているのは上野駅を発つ時、駅員が旅立ちの銅鑼を打ち鳴らしてくれたことだ。駅のホームが見えなくなるまでその音は続いた。そのときわたしは「旅とはこういうものなのか」とその本質を学んだ。
だからのちに村上春樹『遠い太鼓』のエピグラフ「遠い太鼓に誘われて/私は長い旅に出た/古い外套に身を包み/すべてを後に残して」を目にしたときも、単なる詩句としての魅力を超えた、太鼓の音と旅立ちの希求との抗いがたい結びつきをすんなり理解したし、太鼓の音が耳から離れないせいで一生を旅に捧げてしまう者がいるだろうことも予感できた。