2022-01-24

瞬間には味がない





日曜だというのに、昨日は朝から出かけた。雪見大福を手に入れに。

この日の雪見大福は白のバニラアイス、黒胡麻アイス、マンゴーシャーベットがそれぞれ2個ずつ。写真は黒胡麻とマンゴー。お餅の部分はもう少し薄くて伸びるとうれしい。願わくば改良されんことを。

雪見大福が一瞬で消える。

机に向かい、この春刊行の本のゲラをこりこり直す。直していると、意味のつじつまで躓く。そのとき、次のようなことを考えた。

人間にとっての時間とは記憶と期待のことだ。それらを欠けば時間は人間にとって抽象的なものにすぎなくなるだろう。

〈過去〉はもどらないし〈未来〉はまだこない。わたしは存在しない〈過去〉の記憶と〈未来〉への期待とでもって〈いまここ〉をサンドウィッチにして味わっている。ところで、この〈いまここ〉とは何かというと、時間をすっぱりと裁ったその断面に違いなく、つまり厚みがない。とすると人は、〈過去〉と〈未来〉というここに存在しないパンでもって〈いまここ〉という厚みのないハムを挟んでいるということになる。だが厚みのないハムに味などあるのだろうか。あるのだろうか。あるのだろうか。ひょっとしてないんじゃないか。思い返せば、瞬間には味がない。過ぎ去ったその残り香に、わたしは貧しくも酔うにすぎないのだ。