2024-02-01

正岡豊『白い箱』のひっぱりとひねり





32年ぶりの正岡豊の新作『白い箱』は正岡さんらしい歌集でした。しかしながらその「正岡さんらしさ」とは一体なんなのか。前衛短歌由来のリズムや新古今集っぽい遊戯性といった特徴はある種の潮流に共通する傾向であって正岡さんに固有とはいえない。私が『白い箱』を読みながら、ぱっとひとつ思いついたのは「結論をひっぱる」と「落句をひねる」の合体芸です。なかでも真骨頂といえるのが、

アマポーラ そらいろをしたくちびるがそこで戦う岩館真理子

こうしたひっぱり&ひねり方。このとき落句があまりにも奇抜だと意味が迷子になるわけですが、一般名詞ではなく固有名詞をあしらうことで現実世界の輪郭線をかろうじて維持する、この技がまた正岡さんならでは。固有名詞の重みで、意味のわからなさを凌駕していく作戦ですね。

だってそれでも人は死ぬから、それはそう、それはそうだがジャック・ラカンよ

小林一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」を本歌取りしつつ、結論をひっぱり、落句をひねる。この下の句には大田南畝の「それにつけても金の欲しさよ」と同種の感触があり、付合にしても面白そうです。「ジャック・ラカン」もまるで時間ぎりぎりで決めた大外刈のようで実に見事な取り合わせ。モダンな狂歌の粋を感じさせます。

わたしはたしかにそこにはたどりつけないがかき氷に載せてるさくらんぼ

サウンドがサクサクしてて、まるでかき氷をかき混ぜるような感触をリスナーに味わわせているみたい。音が桜の花びらのように舞って、舞い散って、そして最後にひとつぶ、さくらんぼが残る。そのさくらんぼの、ちょっと間抜けな感じ。そこにひねりが隠されていそうです。

こわれないでもたもてないたましいの人体はいま光のホテル

壊れないでも保てない魂をかろうじて支える宿木、それは人体。押しとどめようもなく流れ去る月日を過客するエターナルなソウルの旅はけれども終わらない。個人的には震える魂からクォークのダンスを連想したり、そのクォークたちが踊ることで肉体の光り輝くエネルギーが生まれているのかもと想像したり。あと「たましいの」を枕詞のように使っているところが上手い。いや、よく見たら「こわれないでもたもてない」も「たましい」の序詞になっていますねこれ。なんという美しいひっぱり芸。素敵だなあ。その他、気ままに三首引用します。

みたこともないのにぼくの心臓のいろのゆうべの天の橋立
オリンパス・ペンを肩がけしてるのが父さん私の妻なのですよ
あしたあなたのまっしろな小骨になって越えたい木津川や宇治川を