2024-01-27

「物語」の根っこは「語」である





朝、海を眺めながらデイヴィッド・G・ラヌー『ハイク・ガイ』を読む。とてもキュートな小説。湊圭史さんの翻訳が素晴らしい。

妹いづこバーボン通りのストリッパ
somebody's little sister / Bourbon Street / stripper

きよしこの夜丑みつの酒場かな
silent night, holy night / three / at the bar

みな見たり成したり今や忘るるのみ
seen it all, done it all / and now / forgetting

いざさらば雪へ尿にて残す文
farewell! farewell! / pissed / in a bank of snow

つめたき世のおもてを掻きて鼠かな
scratching the snowy / surface of thing / mouse

話は変わって前回の日記について。須藤岳史さんがこんなことを書いてくれたのですが、うーんたしかに。というのは私、今回書きながらつくづく「物語って最強だなあ」と思ったんですよ。人間には生死を問わず尊厳があるでしょう? それを尊重するとなると物語以外の手段でアプローチするのは難しい。で、物語は真実を伝えるために生き残ってきた形式だなとあらためて認識しました。

物語の要諦は「本当か嘘か」ではなく「その文章がどんなノリで喋っているか」にあります。「物」と「語」では「語」の方が根っこで、要するにそれは話術、語りの技芸だということ。大きく、小さく、深く、浅く、切り込んで、よそ見して――どの語り方もそのつど真実を背負っているわけです。