2024-05-17

千の漣より一片の銀をつまむ





おととい、もう立ち直れないかもってほどショックなことがあった。でもそのままでいるわけにはいかないから、どうにか元気出さなきゃといろいろ考えて、考えて、しかしまるでうまくいかず心は死んだままだった。ああもうだめかもしれない。絶望に身を委ねつつ、なんとなくお菓子を口に運んだ。するとなんてことだろう、心がすっと癒えてしまった。てか、むしろ普段より元気になり、歌まで歌い出していた。人間をよみがえらせるものはロゴスではなく甘みである。

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鰹魚膾 野村篁園

鰹魚四月出房洋 価躍燕都結客場
翠鬣脱罾凝海色 紅膚落俎砕霞光
銀盤巧畳千層波 玉箸軽挑一片霜
莫道金齑資雋味 不如蘆菔雪生香

かつおの刺身 野村篁園

かつおは四月 安房の海にやってくる
競りの声が響き 江戸の魚河岸が賑わっている
網からはずされた翠の鰭はいまだ海の色を宿し
俎板でさばかれた紅い身は朝ぼらけの光を放ち
銀の大皿に巧みに造った重なる千のさざなみの
その一切れのしろがねを象牙の箸で軽やかにつまむ
言うな 和え物がかつおの旨さを一層引き立てるなどと
雪のようなおろし大根の風味にはかなわないのだから

野村篁園は江戸時代後期の儒者、漢詩人。翠と紅、凝と砕、海と霞、色と光、銀と玉、千層と一片など非常に整った作品です。タイトルの「膾」は刺身。「価躍」は価格が高騰する。「砕霞光」は深く透き通るようなかつおの赤身をあけぼのの光のスペクトルになぞらえた表現。またかつおの刺身の作り方で、身に銀色を残しつつ皮を引き剥がす方法を銀波造りと呼び、「霜」はその銀色を指しています。「蘆菔」は大根。それから「金齑」とはなんぞやと思い百度百科でググったところ「細かく刻んだ美しい食材」の意で、例文として梅尭臣作の魦魚の皮付き刺身についての詩が出ていました。さらに調べると朱新林「文化の交差点」の魚・膾・刺身の回にこんな記述を見つけました。

刺身が全国で流行するにつれて、その調味料と調理法にも絶えず改善が加えられた。南北朝時代に至ると、有名な「金齏玉膾」が登場する。これは刺身を食べる時のたれの1種で、中国古代の刺身文化の中でよく称えられる。北魏の賈思勰は、この「金齏玉膾」の作り方を『齊民要術』に記載しており、特にその第8巻の「八和齏」の一節で金齏の作り方を詳しく紹介している。分かりやすく言えば、「八和齏」は一種の調味料で、にんにく、しょうが、みかん、梅干、とうもろこし、炊いたうるち米、塩、みその8種類の材料から作られ、魚膾につけるためのたれである。これは、現在日本の刺身用のたれである醤油とわさびに相当する。このたれはその後隋の煬帝が好み、煬帝は「金齏玉膾とは東南の美味である」と言っている。煬帝は刺身が格別に好きだったことが見て取れる。たれのほか、さまざまな生野菜と和える食べ方もあり、この食べ方ではさらに色彩や造形上の視覚的な美しさが求められた。

現在の日本でも、かつおの刺身の薬味は葱、大葉、みょうが、にんにく、生姜あたりが主流です。しかしながら篁園が上の詩でひそかに主張したがっているのはたぶんラストの一句、すなわち「おろし大根推し」で、これはさぞかし小粋な江戸趣味なのだろうと想像できます。確かに雪と見紛うおろし大根は清涼な美の極み、辛みと甘みが入り交じるところも魅力的ですよね。