2020-01-01

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2019-09-21

さようならの手法





野の色で終はる出逢ひが此処にある  夜景

柳本々々さんの言葉に「川柳は〈さよならの文芸〉である」というのがありますけれど、これってすごく魅力的な命題だなと思います。たしかに川柳は手をかえ品をかえおしまいをテーマにしてきた。

一方、俳句にも挨拶句というのがありますが、これは贈答や応酬の意味合いを含んでおり、ほとんどが日常のご機嫌伺い、すなわち〈こんにちはの文芸〉として機能している。

ここで自分自身を振り返ると、たしかに私も〈さよなら〉を詠むとき、感情をそのまんま私性たっぷりに詠むことってまずないです。で、語るときは遥かなる必然として語る。あるいは絶句という仕草で語る。

だって別れは語りえぬものとして訪れるから。あるいは語りそこねるものとして。

出逢いは対称である反面、別れは非対称です。さようなら、とちゃんとお互いに伝えあえることって、人生でほんとに稀だと思うんですよ。

かぎろひの五言よ永遠に絶句せよ  夜景

2019-09-20

ちまきをもらう(澤の俳句 2)




道喜よりどさと框へ粽五把  高橋睦郎

上島鬼貫の〈文もなく口上もなし粽五把〉をふまえた〈粽五把〉がかっこいい。どうやら〈へ〉の一語が、下五をダンディにみせる切り返しの機能を担っているもようです。

またわずか五把の粽に〈どさ〉という形容がはたして適切かどうかの点については、頭韻における〈道喜〉との音合わせで解決すると作者はふんだのでしょう。もっと言えば、まずもって〈道喜〉という屋号(京都の御ちまき司「川端道喜」のこと)があってこその〈どさ〉なのだろうと。

ひとつ付記すると、鬼貫の句は松永貞徳と木下長嘯子とのあいだで交わされた手紙が発想源です。長嘯子『挙白集』によると、貞徳が〈近き山紛はぬ住まひ聞きながらこととひはせず春ぞ過ごせる〉という歌を添えて粽を送ってよこしたのに対し、長嘯子が〈千代経ともまたなほ飽かで聞くべきはこの訪れや初ほととぎす〉と返歌したとの話。実はこれ、どちらの歌も沓冠折句で、貞徳は「粽五把まひらする」、また長嘯子は「粽五把もてはやす」の文字列を隠しているのでした。

2019-09-19

恋とサーフィンとおもてなし(澤の俳句 1)



6月から『澤』の句評を担当しているのですが、『澤』ってこんなだったのか、うーん、とおもしろがっています。いろんな人がいるんですよ。で、少し前の句評をブログに使っていいかどうか編集部にきいてみたら「いいですよ」とのお返事。そんなわけで今日は高橋睦郎さんの卯波づくしを。

卯月波立てば疼きぬ舊き戀  高橋睦郎

卯月=疼きの音合わせに狂句っぽい雑味がありますね。あとこの句にはどうしたって平経正〈はつせがは岸の卯の花散るときは騒がぬ水も波ぞたちける 夫木和歌抄〉を添えないではいられませんよ。恋だもん。

まぼろしの卯波や銀座一丁目  高橋睦郎

作者自解によると「まぼろしの卯波」とは鈴木真砂女の料理屋「卯波」に銀座がかつて海だったことを重ね合わせたのだそうです。とすれば、この句をおいしく味わうには波打つ酒をよろこびつつ、またほんのりと宴にたゆたいながら、藤原家良〈しろたへの垣根に咲ける卯の花にもてなされたる夕月夜かな 夫木和歌抄〉を胸に薫らせるとよさそう。おもてなしの夜に。

卯の花の騒ぐを庭の卯波とし  高橋睦郎

卯の花=波の見立ては良経、西行、慈円など昔から少なくありませんが、この句は藤原重家〈卯の花の咲きぬる時は白妙の波もてゆへる垣根とぞ見る 新古今和歌集〉の仕立て直しでしょうか、とてもさりげない平句です。また卯の花といえばロビン・ギル『古狂歌 滑稽の蒸すまで』に、
暑い日は、納涼の効果が抜群で、この花が現に、白波に似る。北フロリダで卯の花の長い垣がまるで砂浜の大波の感じで瞼にサーファーも浮かんだ。花が重くなると崩れ方も波とそっくり。低い壁の外側で風もそちから来ると石の上に砕くようの枝振りまでもそうです。石垣の側だったら歌舞伎の意味での白波になってそれを越すが、それも。
との素敵な文章が存在します。ギルさんと同じく地中海性気候の田舎町で暮らす身としては、ああ本当にそうだなあと感じ入ることしきりです。

2019-09-18

一糸まとはぬ





ほうと吐き一糸まとはぬ月自身  夜景

先日の中秋は、夫がライ麦の塩餅をつくってくれました。丸いのを8個。蜂蜜と黒胡麻をかけて食べました。

花鳥風月というのは人をさみしがらせる遊びだなあとしみじみ思います。そしてまた、この世に歌がなかったら、生とはどれだけ耐えがたい時間だろうか、とも。

歌の中では俳句が好きです。今さらながら。

2019-09-17

ひかりにふれる白



往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」は第11回「明るく、静かで、軽い舌」。サント・マルグリット島、ハワイの俳句、不滅へ近づけようとする意志、崎原風子、時間や空間に位置づけられない異界、失語・失律の飽くなき紆曲。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。

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八上桐子、牛隆佑、櫻井周太の三氏による、川柳と短歌と詩の「フクロウ会議」。first work 『蕪のなかの夜に』が発売中です。八上桐子さんが小津の一句を仕掛けにした変奏連作「はぐれる鳥」を書いて下さっています。

もえて燃えきってひかりにふれる白  八上桐子


2019-09-16

新しい室内靴




室内の靴。ローファーだったり草履だったりデッキシューズだったりと遍歴を重ね、最近は上のスニーカーを履いていたんです。でも思うところあって、今日からadidasのサンダルを試すことに。ジーンズも今日4ヶ月ぶりに履きました。もうすっかり涼しい秋です。

2019-09-13

抽斗堂 no.34 白いガーゼの扇




抽斗堂no34は白いガーゼの扇。いただきものです。広げるとふわふわして風のよう。机に置くと、扇よりも貝に似ています。

夏あふぎ夜半のとばりを鞣しけり  夜景

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小池純代にマラルメの「マラルメ夫人の扇」を長歌&反歌のスタイルに翻案した遊戯があります。こんなの。

わたしの胸はことだまの 仮の住まひにすぎぬもの
わたしの妻はわたくしの 仮の宿りにすぎぬもの
過ぎてしまへば何もかも 仮でないものあらぬもの
  *
仮の吾妹(わぎも)のその手にゆるる仮の扇よわが心

この反歌は短歌(57577)ではなく都々逸(7775)になっているのですが、言の葉が扇のようにゆらゆらして見えて楽しい。都々逸って、ともすると最後の5音に尻切れとんぼの味が出ますよね。言い切らないうちに終わりが訪れた時は、少し切ない。