2024-03-09

『ロゴスと巻貝』刊行記念歌仙「初凪の巻」



『ロゴスと巻貝』刊行記念歌仙「初凪の巻」が満尾しました。わたしも挙句だけ参加させてもらっています。


『ロゴスと巻貝』に登場するモチーフが主旋律。そこへ句集『花と夜盗』をフレーバーとして使っていただいたようで。ありがとうございます。しかしそれにしてもみなさん上手い……いや本当にこれ上手すぎやしませんか? やりたい放題なのに独りよがりじゃない。次の連衆がうちやすいボールをちゃんと上げていく。博愛と連帯を感じさせるという意味でとても美しい歌仙です。わたしの挙句は神祇釈教も用意したのですが、 冬泉さん曰く「りゑさんの「巫山戯」がその役を果していると解しましょう」とのことで紙風船の句が採られました。

ガザを知らない二十四時間 冬泉
×○(ミッフィーのくちびるドラえもんのはな) 羊我堂
奢霸都館開店行列冷まじく りゑ
許されぬ恋だとばかり思ひ込み 岳史
喜喜昔圖古茶壺(ききとしてむかしゑがいたふるちやつぼ) 未来
エピタフのtu fui ego eris すり減つて 季何
確定申告ボイコットすれば花 胃齋

2024-03-08

強い夢、あるいは何かに向かおうとする心






嵐の去った海には石や木が散らかっている。岩の上で釣りをする家族、椅子に座ってお茶する女たち、家づくりをする少年たち、皆それぞれに遊ぶ。


誰かが積んだ石の塔。


別の場所にも家をつくる少年がいた。


原始と抽象とのあわいに心が立ち現れる。強い夢に似た、何かに向かおうとする心が。

2024-03-03

聖土曜日を飾る寄せ書き





土曜日は春の挙句をつくった。以下はその提出句。歌仙全体は日を改めて。

朧月夜に用を足す犬
聖土曜日を飾る寄せ書き
象に望みて甘茶一服
紙風船のまろぶ坂道
ごろりと臥して吹くシャボン玉

日曜日は朝からいかんともしがたい嵐。鎧戸を下ろし、暗い中でじっとしている。昼はカレーを作るが、食後の甘いものがなにもなく、外にも買いに出られない。なにもない状態でコーヒーを飲むのが辛いとつぶやくと、夫がキャラメルコーンフレークを作ってくれる。

2024-02-24

カルナヴァルの広場を抜けて





ル・アーヴルの知り合いが「ぼくの通ってた高校、サルトルが教えてたんだよ」と言うので興味をそそられ、Lycée François 1erの位置を調べたら、なんと街のど真ん中にあるショッピングモールの隣だった。こんな現実感(?)のある場所だったのか。ル・アーヴルに住んでいた頃は「いま『嘔吐』を読み返したらとんでもなく面白いんじゃないか?」としょっちゅう想像したものだけれど、知り合いの言葉が契機となって本日とうとう本屋さんで『嘔吐』を購入するに至った次第。ついでにカミュも買い直した。きれいな本で読みたくて。

わたしはカミュの文体が好きだ。何度読み返しても、まるで初めて出会ったかのような瑞々しい衝撃を受ける。心臓を鷲づかみにされる。読んでいる間中ずっと胸の痛みが止まない、そういう類の感動だ。

2024-02-18

つられて走る





日本経済新聞の17日付朝刊「交遊抄」に寄稿しました。ウェブ版はこちら。文中で触れた入交佐妃さんによる写真はこれのこと。神保町の珈琲店「さぼうる」でお茶していたとき、パシャっと一発で撮ってくれました。

高橋睦郎さんの新刊『花や鳥』の栞を書きました。栞の一般的位置付けというのが定かではないまま普通の感想を書いてしまったのですが、いまふと「あ。栞って出版おめでとうの挨拶なのかも」と思い至りました。たぶんこれ合ってますよね。

今日は朝8時半から海辺を散歩。空気が最高だった。たくさんの人がジョギングしてて、ほんと大勢走ってて、まるでジョギング星人たちが住む異星に迷い込んだ感じ。ぶらぶらしているうちになんだか郷に従った方がいいような気分になってきて、あたしも20分くらい走ってしまった。

2024-02-12

海辺の思考





きっとうろうろしてるにちがいないと。うろうろしながら書いているのでしょうと。わたしの文章には、そんなうろうろした印象があるらしい。
「うろうろしてますね」
と言われた。きのうも。
「うろうろしてますか?」
ときかれても、うまくこたえられない。
「うろうろってなんだろう……」
そうおもいながら、いま、海をみている。

2024-02-06

掲載のお知らせ、最近の展覧会など





●『群像』3月号に全速力の文「師走ギリシア紀行」を寄稿しています。●『すばる』3月号の空耳放浪記は「パスタパスタで暮れる年」。大晦日の詩歌を紹介しました。●『Precious』3月号巻頭に「俳人・小津夜景さんの句と軽やかに煌めくファッションで綴る早春賦/光る風に衣ゆらめき。春を着る、春を舞う」が掲載されています。全8頁。モデルは大政絢さん、撮影は藤森星児さんです。編集部から届いた写真から早春の香りがあふれていたので、かぶりすぎないよう季節感は控えめに、かつ大政絢さんの謎めく雰囲気が引き立つよう黒子に徹しました。

潮の香を残し燕は塔に消ゆ  夜景

●今日はゲラを3つ読んだ。ひとつは自分の。あとふたつは人様の本。●ニースのアジア美術館は無料なのに面白い企画展が多い。先週は「タンタン・エルジェ&チャン展」をやっていた。チャンというのはエルジェの出世作にして最高傑作『青い蓮』を描くのに協力した彼の親友で彫刻家の張充仁のこと。カラー版絵本の元となった新聞Le Petit Vingtièmeもずらりと揃って圧巻だった。下の写真はチャンに関するヴィデオ。上はLe Petit Vingtième掲載時の誌面と、チャンとエルジェの私物。

2024-02-01

正岡豊『白い箱』のひっぱりとひねり





32年ぶりの正岡豊の新作『白い箱』は正岡さんらしい歌集でした。しかしながらその「正岡さんらしさ」とは一体なんなのか。前衛短歌由来のリズムや新古今集っぽい遊戯性といった特徴はある種の潮流に共通する傾向であって正岡さんに固有とはいえない。私が『白い箱』を読みながら、ぱっとひとつ思いついたのは「結論をひっぱる」と「落句をひねる」の合体芸です。なかでも真骨頂といえるのが、

アマポーラ そらいろをしたくちびるがそこで戦う岩館真理子

こうしたひっぱり&ひねり方。このとき落句があまりにも奇抜だと意味が迷子になるわけですが、一般名詞ではなく固有名詞をあしらうことで現実世界の輪郭線をかろうじて維持する、この技がまた正岡さんならでは。固有名詞の重みで、意味のわからなさを凌駕していく作戦ですね。

だってそれでも人は死ぬから、それはそう、それはそうだがジャック・ラカンよ

小林一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」を本歌取りしつつ、結論をひっぱり、落句をひねる。この下の句には大田南畝の「それにつけても金の欲しさよ」と同種の感触があり、付合にしても面白そうです。「ジャック・ラカン」もまるで時間ぎりぎりで決めた大外刈のようで実に見事な取り合わせ。モダンな狂歌の粋を感じさせます。

わたしはたしかにそこにはたどりつけないがかき氷に載せてるさくらんぼ

サウンドがサクサクしてて、まるでかき氷をかき混ぜるような感触をリスナーに味わわせているみたい。音が桜の花びらのように舞って、舞い散って、そして最後にひとつぶ、さくらんぼが残る。そのさくらんぼの、ちょっと間抜けな感じ。そこにひねりが隠されていそうです。

こわれないでもたもてないたましいの人体はいま光のホテル

壊れないでも保てない魂をかろうじて支える宿木、それは人体。押しとどめようもなく流れ去る月日を過客するエターナルなソウルの旅はけれども終わらない。個人的には震える魂からクォークのダンスを連想したり、そのクォークたちが踊ることで肉体の光り輝くエネルギーが生まれているのかもと想像したり。あと「たましいの」を枕詞のように使っているところが上手い。いや、よく見たら「こわれないでもたもてない」も「たましい」の序詞になっていますねこれ。なんという美しいひっぱり芸。素敵だなあ。その他、気ままに三首引用します。

みたこともないのにぼくの心臓のいろのゆうべの天の橋立
オリンパス・ペンを肩がけしてるのが父さん私の妻なのですよ
あしたあなたのまっしろな小骨になって越えたい木津川や宇治川を