2018-10-01

▶︎ goeland blue

● 新刊『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』
重刷決定しました。帯が松岡正剛氏の筆へと衣替えします。本の詳細はこちらの特設ページにて。
● 句集『フラワーズ・カンフー』の紹介はこちら

2018-09-20

稀れなる星よ



一つの星に  原民喜

わたしが望みを見うしなつて暗がりの部屋に横たはつてゐるとき、どうしてお前は感じとつたのか。この窓のすき間に、あたかも小さな霊魂のごとく滑りおりて憩らつてゐた、稀れなる星よ。

日本経済新聞「読書日記」、第4回はたいへん美しい装幀の『原民喜童話集』を取り上げました()。

最近の原民喜の流行ってすごいみたいですね。わたしは彼のことを全然知らなくて「夏の花」と「永遠のみどり」を学校で習ったくらいだったんです。それがこの夏、青空文庫で「原爆小景」を読んで、あ、「永遠のみどり」は組曲詩だったんだと小さな衝撃を受けました。これ全部、教科書に載せてくれたらよかったのに、って思った。

2018-09-18

朝の採血



今朝は5時半に起きて、朝食とお弁当を作り、6時半に家人を送り出し、それから自分の身支度をして朝7時半予約の検査へ。早すぎるよね…と思うものの、この地域は朝6時から開いているカフェもめずらしくない。

採血の後は、必ず検査技師が「コーヒーと紅茶、どっちが好き?」と患者に質問して、お茶とお菓子を手ずから用意してくれる。喫茶室に移動し、観葉植物を眺めながら技師さんを待っていると、ほどなくして青いプレートが運ばれてきた。本日のお菓子はマドレーヌ2個。


俺の血を見ろ蚤が跳躍する   根岸川柳


2018-09-17

ピアスと墓穴



自分がいつどこでピアスの穴を開けたのかって、わりとみんな、しっかり覚えているような気がします。わたしは高校生のとき、母がピアスの穴をあけたかったらしく、でも一人で病院に行くのは怖いからとわたしを誘ってきたんです。施術代も(当然)出してくれてラッキーでした。

またひとつピアスの穴をやがて聞くミック・ジャガーの訃報のために
松野志保

この歌には、さりげなく省略されている部分が二つある。ひとつは「耳」という名詞そのものである。そもそもピアスは耳たぶに開けるものとは限らないのだけれど、音楽、訃報と二重に「聞く」ことの話をしているこの歌についてはやはり耳のピアスを想像していいのではないか。それから、「ピアスの穴を」のつづきが省略されて言いさしになっている。穴を「どうするのか」が書かれていない。そして、これらの省略はただ限られた文字数のなかで表現を洗練させたというだけではなく、省略されていることにそれぞれ意味があるように思う。

砂子屋書房の「日々のクオリア」より(鑑賞は平岡直子さん)。ありふれた空気を纏いつつも、実は技術的に大変よく練られた作品。うーん、と感じ入りました。しかも鑑賞が、これまた緻密でいいんですよ。全文がこちら()で読めます。

この「日々のクオリア」は言葉がいつも丁寧で、参考になることが多いです。わたしも短歌を取り上げてもらったことがありました。そのときの執筆者は佐藤弓生さん。鑑賞はこちら()。

2018-09-13

トニー谷と文選読み


先日、トニー谷を聴いていて、「チャンバラ・マンボ」の歌詞がところどころ文選読みだということに気がつきました。

マウント・イースト・東山、
サーティーシックス・三十六峰、
クワエット スリーピング・タイム、
ここ三條ブリッジ・イン・ザ・京都シティ、
幕末勤王佐幕・タイム。
突然サドンリー・ハップン起こるはチャンバラサウンド。

文選読みというのは『文選』を読むとき多用された漢文訓読法で、いちど音読した漢字を「と」ないし「の」で受けたあと、さらに重ねて訓読すること。たとえば『千字文』だと、こんなふうになってます。

天地玄黄 宇宙洪荒
テンチのあめつちは、クヱンクワウとくろく・きなり。
ウチウのおほぞらは、コウクワウとおほいにおほきなり。

『千字文』は千の文字を四字一句の250句にした中国の漢字教本ですけれど、こういう楽しい教本は平安後期の日本にもあったようで、

東風 トウフウのひがしのかぜふいて
凍融 トウユウとこをりとく
紅虹 コウコウのくれなゐのにじ
空衆 クウシウとそらにしぐるる

こちらは『童蒙頌韻』(引用の「衆」は、正しくは雨冠がつく)。詩作に便利なように、漢字の平声の文字を配列し、四字ずつの句にして音訓を施したものだそうです。漢語の意味を記憶するのにも使えるのだとか。こちら()からダウンロードできます。こういうのを、文選読みで暗唱してたわけですね。なるほど…。


で、書きたかったのは、トニー谷のような「英語+和語」の文選読みというのは、演芸界にどのくらいあったんだろう?ということ。わたしは、トニー谷の芸をずっと彼のオリジナルだと思っていたんですが、文選読みとの関係に気づいたせいで、もしかしたら違うのかも、と疑問が湧いたわけです。「漢語+和語」については『誹風柳多留』に、

女馬士馬から落ちて落馬する

という文選読みをパロった川柳があるくらいですし、とうぜん演芸界にも大昔からあったと思うんです。こういうジャンルの話って、知っている人はやたら詳しいから、どなたか教えてくれないかしらと期待して、ブログに書いてみました。

2018-09-10

翻案と定型



小池純代『梅園』に翻案短歌というのがあって、

J.L.Borges「短歌」より翻案一首
さうであることもさうではないこともあはれやゆめのなかあめのなか
小池純代

みたいな感じなんです。素敵でしょう? こういう遊び、自分もしてみたいんですけど、この人の、下のような翻案をみてしまうと、おいそれとはできなくなります。

なにかしら香るところに灯をともす
その仕草こそ
学といふなれ  

モナドからモナドへうつるつかのまを
見失ふたは
蛍のしわざ

カタルシス無きまま流す涙かな
語るともなく
死するともなく

さはいへど
さはさりながら
さるにても
以上サイバネティックスな古語  

大衆の大の字が
ちと
あかんやん
連衆ぐらゐで
ええのん
ちやうか

翻案された書物は、上から順に、アンリ・ポアンカレ『科学と方法』、ライプニッツ『ライプニッツ著作集』、フレッド・イングリス『メディアの理論』、ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス第二版』、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(引用はすべてweb版千夜千首より)。

かぐわしき古風と、チャーミングな奇態とが、結ばれあった歌たち。オルテガの翻案には、ほんまになあ、と蒙が啓かれるような気分です。

2018-09-09

創造と工夫。



きのう套路の練習をしつつJames Rayを聴いていて、うーん、なんて自由なんだろう、音楽って、自由との相性が抜群だなあ、と思いました。

でね、今朝、目が覚めて、ひさしぶりにマチス美術館へ行ったんですが、入り口の壁に描かれた彼の作品を目にした瞬間、あ、美術も自由のポテンシャルすごいじゃん、と笑いました。

なにより愉快なのは、自由というものの主成分が創造と工夫の精神であると気づかされること。

ゆつくりつくる大きな紙で大きな青葉   阿部完市

2018-09-06

旅するニーチェ



日経の「読書日記」、第3回はニーチェ『この人を見よ』です()。

ニーチェは35歳で教職を辞してから発狂するまでの10年間、ずっと旅をしていた人らしいです。おもしろいのは、彼の旅が、昔ながらの漂白ではなく、当時生まれつつあったリゾート地を渡り歩くといったカラフルな情緒を(病気療養の為とはいえ)有していたこと。著書の大半を書いたのも旅行中なんですね。

鉄道世代、かつリゾート開発世代のニーチェ。パトリック・モリエス『ニースのニーチェ』はそんな彼がニースで過ごした2年間を追った本。土地の自然を愛しつつも、すでに大都市の萌しがあったこの町の騒音に辟易していたりも。こちらのブログ()で知ったのですけど、手にしてみたら本文は50ページしかなかった。

だいあろおぐあきらめに似て照る月は言葉の海を笑つてゐるのさ
紀野恵