2024-12-26

白居易の「書斎の三つの友」の詩を読む





『いつかたこぶねになる日』のあとがきで引用した「詩友独留真死友(詩友は独り留まる真の死友)」。この詩を現代語訳してみました。原文はこちらで確認できます。細かな点は『菅家後集』を確認していただけると幸いです。

白居易の「書斎の三つの友」の詩を読む 菅原道真

白居易の『洛中集』十巻
そこに「書斎の三つの友」という詩がある
一つの友は琴、もう一つの友は酒
私は酒と琴についてあまり詳しくない
でも、詳しくなくても、なんとなくはわかっている
わからないと言いつつ、疑問が湧かないくらいには
たとえば酒は麹を水に溶いてつくるし
琴はといえば桐の木に糸を張ってつくる
でもわざわざ自分で一曲弾きたくなることはないし
目いっぱい飲んだからといって楽しくなるともかぎらない
つまりそこまで親交がないってのが正直なところ
だからさよなら いまここで 丁寧に別れを告げるよ
するとね 詩だけが残る それが死ぬまで連れ添う本物の友
わが家は先祖代々ずっと詩を作りつづけてきたけれど
それが世間で広く歌われるのはどこか憂鬱
私は声に出さず ただ心に思うだけにしてる
言うにはばかることが多く 新しい発想も浮かばないから
口をついで出るのは誰かの古い詩ばかり
その古い詩をどこでそっと抜き出すかといえば
柱三間の 白い萱と茨を葺いた貧しい公舎
敷地は狭いものの南北の向きだけは定まっている
建物は粗末ながら戸も窓もなんとか整っている
それに運良く北向きの書斎があって
たまに詩がやって来てはそっと寄り添ってくれる
とはいえ酒も琴もない 何か代わりになるものはないか
見回すと、そこにいたのが燕の雛と雀の子
燕と雀 種は違えど同じように生きている
親鳥は子を護り、しょっちゅう助け合っている
ここでは焼香や散華も行われるのだけど
念仏や読経のときにひょっこりあらわれ
嫌がりもしなければ飽きもしない
なんの妨げにもならないし下心もなくて
彼らはぴいぴい、ちゅんちゅんと話し合いながら
わずかな虫や穀粒をついばんで、飢えることもなく過ごしている
彼らは小さな鳥 私は儒者を名乗っているけど
きっと彼らのほうが ずっと慈悲にあふれてる
右少弁が地方官を務めたとか
式部丞が新たに五位をあたえられたとか
蔵人は帝のそばにいたがすぐに殿上を去ったとか
文章得業生はまだ部屋にこもって勉強を続けているとか
そんな世間の折 私はといえば勅使に追いたてられ
父と子が一度に五つの地に引き裂かれてしまった
言葉にならない痛みが血の涙となってあふれ
俯いたり仰いだりして天の神地の神にいのる
だが東へ西へと雲はただ遠く流れるばかり
春はのどかで、二月、三月と日が長くなるけど
関所は幾重にも閉ざされ、便りは絶え
独り寝はつらく、夢もめったに見なくなった
進めば進むほど山や川は遠ざかり
道中を進むほど景色は薄暗く変わっていく
左遷の地で、子らはいったいだれと食事をするのか
秋風が吹くころまで生き延びても着るものもないだろう
かつての三友——琴・酒・詩——は一生の楽しみだったけど
いまの三友——燕・雀・詩——は一生の悲しみになった
昔と今は違う 今は昔と違う
楽しみも、悲しみも、すべては心の向きしだいなんだ