先日の下西さん、山本さんに続く『ロゴスと巻貝』刊行記念第3弾として、6月18日(火)京都の恵文社一乗寺店にて小説家の吉村萬壱さんとのトークイベント「本の書き手が潜る世界」が開催されます。二人で本を書くことや読むことについて自由に語り合う会で、オンラインでもご視聴可能です。みなさまのご来場・ご視聴をお待ちしております。
■日時:2024年6月18日(火) 18:30開場 / 19:00開始(20:30頃終了予定)
■会場:恵文社一乗寺店COTTAGE
■定員:30名
■料金:1,500円
■会場ご参加の方はこちらのご予約フォーム、もしくはお電話(075-711-5919)、店頭にてご予約ください。オンライン配信のお申し込みはこちらのページからお願いします(オンライン配信の受付は5/31の23:59締切です)。
その他さいきんの活動をメモ。
●三省堂書店 神保町本店2周年記念「作家のプロフと愛読書展」に参加しています。会期は5月1日から6月30日まで。
●梅田の蔦屋書店「はじめての詩歌」フェアに参加しています。会期は5月13日から7月7日まで。選書理由を掲載した無料リーフレット配布中。
●『BRUTUS』2024年6月1日号のアンケートに答えました。質問は「あなたにとっての忘れられない一句は?」で、「い。そこに薄明し熟れない一個の梨/崎原風子」と「コーヒー沸く香りの朝はハツトハウスの青さで/古屋翠渓」のどっちにするか迷って、結局コーヒーの句にしました。理由はシンプル。今の日本で古屋翠渓の句集を折りにふれて読んでいるの、たぶん私だけだろうなと思ったから。風子の方はまだ読者がいますしね。私がことあるごとに古屋翠渓を推しているのを知る人たちは「この人ほんとに好きなんだな」って思うかもしれません。けど、これ、ただ好きってわけじゃなくて、研究目的以外で読む人がほとんどいないハワイ日系移民の俳句に少しでも光を当てたいからというのも実は大きいんです。
ところで、風子はアルゼンチン、翠渓はハワイと生きた国は違えど、移民と母語との関係において両者は同じ現実に直面していたと思います。それはどんな現実かというと「移民にとって母語で書くことは政治的な行為である」ということ。たとえ本人にそのつもりがなくても、社会の側はそう見る。母語というのはアイデンティティの砦だから、それを使うことは「同化に抗う自己」を再確認する作業にほかならないわけです。風子や翠渓の作風からすると外国語で書く選択肢も可能性としてありえそうですが、彼らはそうしなかった。そこには「同化に抗う自己」の姿が絡んでいたでしょうし、さらには彼らが「書く」とき、日本語それ自体の中に向き合うべき重要な課題を見出していたのだろうとも想像します。
さらに余談。わたしは「小さなときから自分は移民みたいだったなあ」と思うことがあります。これは引っ越しが多かったとか、そういうのとは無関係の話で、なんというか、他人には伝わらない超私的な言語世界が頭の中に存在し、それを言おうとするたび大人に馬鹿にされたり、胡散臭く思われたりするのを感じていたという意味なんですけれど。と書いて今、いきなり気づいたんですが、そもそも子どもというのはわたしに限らずみんながみんな、本人が望んだわけでもなくこの世界に流れついた民であり、十数年かけて社会に同化していく任務を課せられているのでした。