ふらんす堂通信153号に作品「共寝の時間」とエッセイ「虹の脊柱」を寄稿しています。
ええと、このところ「虹の脊柱」について数人の方からほとんど同じ感想を頂いて(もちろん内容は秘密)、改めてじぶんの文章の特徴というのを考えていたのですが、基本わたしはものを書くとき、好きな人に話しかける気分でいるんですね。
エッセイでも、ブログでも、そこは全く変わらない。
死んでからでは後悔するので、生きているその人へ向けて日々たゆみなく話しかける。いちどでも会えたことに涙しながら。もういちど会いたいと願いながら。
人生という砂時計の砂が落ち果てる前に、いつも伝えそこねてしまうことを次こそは伝えようとして。
そして話しかけるたび、その砂時計の中にはまるで世界の非情を祝福するかのように、きらきらと無数の〈無〉が煌めいているということをわたしは理解するのでした。
カイロスとクロノス共寝すれば虹 小津夜景
ええと、このところ「虹の脊柱」について数人の方からほとんど同じ感想を頂いて(もちろん内容は秘密)、改めてじぶんの文章の特徴というのを考えていたのですが、基本わたしはものを書くとき、好きな人に話しかける気分でいるんですね。
エッセイでも、ブログでも、そこは全く変わらない。
死んでからでは後悔するので、生きているその人へ向けて日々たゆみなく話しかける。いちどでも会えたことに涙しながら。もういちど会いたいと願いながら。
人生という砂時計の砂が落ち果てる前に、いつも伝えそこねてしまうことを次こそは伝えようとして。
そして話しかけるたび、その砂時計の中にはまるで世界の非情を祝福するかのように、きらきらと無数の〈無〉が煌めいているということをわたしは理解するのでした。
砂時計のあれは砂ではありません無数の0がこぼれているのよ 杉﨑恒夫