2017-08-10

砂時計の中には



ふらんす堂通信153号に作品「共寝の時間」とエッセイ「虹の脊柱」を寄稿しています。

カイロスとクロノス共寝すれば虹   小津夜景

ええと、このところ「虹の脊柱」について数人の方からほとんど同じ感想を頂いて(もちろん内容は秘密)、改めてじぶんの文章の特徴というのを考えていたのですが、基本わたしはものを書くとき、好きな人に話しかける気分でいるんですね。

エッセイでも、ブログでも、そこは全く変わらない。

死んでからでは後悔するので、生きているその人へ向けて日々たゆみなく話しかける。いちどでも会えたことに涙しながら。もういちど会いたいと願いながら。

人生という砂時計の砂が落ち果てる前に、いつも伝えそこねてしまうことを次こそは伝えようとして。

そして話しかけるたび、その砂時計の中にはまるで世界の非情を祝福するかのように、きらきらと無数の〈無〉が煌めいているということをわたしは理解するのでした。

砂時計のあれは砂ではありません無数の0がこぼれているのよ  杉﨑恒夫