2020-05-12

さかさまに眺める世界





水たまりのいいところは、なんでもさかさまになるところ。覗き込むだけで頭がくらくらします。頭がくらくらするあそびって日常の中で他にあるでしょうか。子どものころは両腕を伸ばし、プロペラみたいに回ってあそびましたが、水たまりを覗き込むのにはプロペラに通じる楽しさがあります。

大通り公園は植物の豊かな市民の憩いの場で、天然の玄武岩が地面に敷きつめられていつも黒々と濡れ光っています。なぜ濡れ光っているのかというと、百二十八本のスプリンクラー噴水が埋め込まれているからです。

スプリンクラーのノズルの軸は垂直になっていて、噴水が上がると風が起こり、樹の林の中に水の林が生まれます。噴水がやむと風もやみ、地面は黒々とした水の鏡と化します。夏になると、水着すがたの子どもたちが、ぴちぴちと鏡の上を跳ね回ります。

朝の公園にあそぶ人はいない。水たまりの上に立つ。静かに憩う鳥を真似て。水たまりは周囲のかたちを映している。椰子がゆらりと倒立し、青空は透きとおり、朝雲がさざ波のように伸びてゆく。鳥が飛び立つ。深く真っ逆さまに。わたしは思いました。鏡は写しではないと。そこには、さかさまになることでしか成立しえない別の法則、別の世界があると。おそらくはうつしよもまた。