2023-12-15

ギリシャへの旅





朝は7時に目を覚まし、9時過ぎに小さなバッグを持って家を飛び出した。原稿がようやく終わったので、気分転換にギリシャへ行くのだ。なにも調べていないけど、ギリシャだったら問題ないだろう。空港で新しいオーガニック・カフェを見つけた。アンチョビと黒オリーブをすりつぶしたペーストにケイパー、松の実、バジルなんかを混ぜたタプナードを塗り、赤ピーマンのマリネとアボカド、ルッコラを挟んだサンドイッチと水を注文した。搭乗までの時間、春日太一『市川崑と「犬神家の一族」』を読む。機内ではよく眠る。15時にアテネの空港に着き、wifiに繋いだら編集者のkさんから、昨日送り返したゲラに問題があるとのメールが来ていた。それでちょっと悩みつつ、ホテルに荷物を置いて、食材を買うために近くのスーパーへ行った。

スーパーでは2リットルのペットボトルの水4本、丸焼きの鶏、豚のオレンジ煮込み、オレガノ風味のアンチョビ一缶、オイルサーディン一缶、トマト、りんご、イチゴヨーグルト、ミル付きのヒマラヤ岩塩、クーロリという名の輪っか状のゴマパン、そしてクリスマスのパンを買った。クリスマスのパンの呼び名はわからない。写真を載せてみようかな。ご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。見た目はブリオッシュに似ていて、味は明日の朝のお楽しみ。で、これらの食材を持ち帰り、ホテルの広々としたキッチンで、その一部を皿に盛りつけ直して食べた。シーズンオフだからか、ダイニング・ルームにいるのは私たち夫婦だけである。ホテルの場所は繁華街の裏手、シャッターが軒並み閉まっている通りにあり、向かい側はレコードショップ。マイケル・ジャクソンの『スリラー』が入り口に飾られ、いとをかし、と言うべき風情。

食事の後は部屋に戻ってゲラを修正して、今はこのブログを書いてるところ。

2023-12-13

カメラがくれた勇気、そして永遠





朝からロベール・ドアノー展を観る。

写真をまじまじと眺めて、まあ予想はしていたけれど、こんなにいいのかと思いました。対象をピンポイントで捉えていて、どれも写しすぎていないの。だからけっしてオーバーにならない。真っ向から撮るときでも勝負っぽさを出さない。慎みがある。しかも画面のざわめきがめちゃくちゃリアル。

4歳で父親が戦場で亡くなり、7歳で母親とも死に別れ、ずっと不遇だったけれど、16歳でカメラを始めて、それが心の支えになって、片時も手放さなかった、まるで消防士の兜みたいにカメラを手にすると勇気が湧いた、カメラがあったから過去の辛かったことを乗り越えて、人々の愉しみを切り取る写真家になれた、そんな話をあらためて確認しつつ展示室をまわり、そのあとは別の部屋に移って、映画『パリが愛した写真家ロベール・ドアノー 永遠の3秒』を観た。

昼には家に戻り、クスクスを40g炊いて、モッツァレラと赤ピーマンとトマトを入れたコロッケとメスクランで食べた。主食は毎食ごとにいちいち量って作る派だ。

ところで最近ずっと考えているのは、誰かが死んだときに「泣く」という行為について。まあ、わたしも、そういうことがあれば泣く。でもそれは、ただただ心が傷ついたことにたいする生理的反応として泣くってことで、本当に心から絶望して泣くわけじゃない。だって人は、死んだって実は死んでない。生きつづけている。つまり生や死というのは現象でしかなく、そこにどういった本質を見てとるかはその人次第なのだ。でね、わたしは、詩を書く者が永遠を信じないで一体どうするのかって思う。永遠を支持することは詩人の採りうる政治的信念、そのひとつの形だろうって。なにものもここに残らない。それは知っている。知っているけれど、その事実に従わない。なにものも失われないと信じること。死に屈しないと決めること。永遠を心に抱えたまま、最期の日まで有限の存在でありつづけること。

2023-12-11

マグカップ革命





市川崑『犬神家の一族』を観た。後半ちょっと退屈だったけれど、富司純子が出てくるシーンは全部よかった。かっこいい。役者って感じ。

うちにはコーヒーメーカーがなくて、これまではドリップ、マキネッタ、フレンチプレスのどれかでコーヒーを淹れていたんです。それが1ヶ月ほど前に発見して、いま流行ってるのは写真のマグカップで紅茶みたいに淹れるやり方。蓋をして3分半ほど待つだけ。マグカップは蓋とフィルターがついているタイプですが、フレンチプレスみたいに押さないので粉っぽくならず、しかも440cc入る。これでデカフェを飲んでいます。

コーヒー豆はこのところ電動より手挽きの方が多いです。KINGrinderのコーヒーミルを買ったからで、これが小さくて軽いの。しかもハンドルの先端の木が球体。球が好きなので気に入っています。

2023-12-09

新刊『ロゴスと巻貝』刊行のお知らせ





細切れに、駆け足で、何度でも、這うように、
本がなくても、わからなくてもーー
読書とはこんなにも自由なのですね、小津さん

山本貴光
(文筆家・ゲーム作家)

※目次※

読書というもの/それは音楽から始まった/握りしめたてのひらには/あなたまかせ選書術/風が吹けば、ひとたまりもない/ラプソディ・イン・ユメハカレノヲ/速読の風景/図書館を始める/毒キノコをめぐる研究/事典の歩き方/『智恵子抄』の影と光/奇人たちの解放区/音響計測者(フォトメトログラフィスト)の午後/再読主義そして遅読派/名文暮らし/接続詞の効用/恋とつるばら/戦争と平和がもたらすもの/全集についてわたしが語れる二、三の事柄/アスタルテ書房の本棚/ブラジルから来た遺骨拾い/残り香としての女たち/文字の生態系/明るい未来が待っている/自伝的虚構という手法/ゆったりのための獣道/翻訳と意識/空気愛好家の生活と意見/わたしの日本語/ブルバキ派の衣装哲学/わたしは驢馬に乗って句集をうりにゆきたい/そういえばの糸口/月が地上にいたころ/存在という名の軽い膜/プリンキピア日和/軽やかな人生/料理は発明である/クラゲの廃墟/人間の終わる日/本当に長い時間/梨と桃の形をした日曜日のあとがき/引用書籍一覧

※ ※ ※ ※ ※

2024年1月9日、アノニマスタジオから新刊『ロゴスと巻貝』が刊行されます(束見本の写真はこちら)。依頼されたテーマは「これまであなたはどんな本を、どんなふうに読んで来たのか」というもの。その問いに、ふわっと答えた、全40篇のエッセイ集。手にとっていただけると、とても嬉しいです。

ふわっと、というのはええと、なんて言えばいいんでしょう、まあ、依頼どおりのことをそのまま書くのは嫌だったんですね。だって読書遍歴を語りなんてしたら、人生が物語性を帯びるのを避けられないじゃないですか。愛読書も告白したくない。照れくさいもん。良書を並べるといった切り口も、他の本との差異化を図るのが難しいから却下。しょうがないので読書論でも書くかなと思ったんですが、よく考えたら世間に披露するほどの見識がないのでした。そんなふうにあれこれ迷走した末、最終的には身のまわりの出来事から書き起こして、その流れにちょうど合う本の話をするといったスタイルに落ち着いた次第です。

思い返せば、初校が仕上がったのが10月下旬。で、それをですね、帯文を依頼した山本貴光さんにお送りしたんですが、もうこれが嫌で嫌で。だってわたしの初校ってほとんどメモ帳なんだもん。あたりをつけただけの状態。恥ずかしすぎる。山本さん、衝撃で絶句なさったんじゃないかな、生きるって、ほんと恥ずかしいことの連続だな、ってゆーかこれほんとに間に合うんだろうか、などと心の中でぶつぶつと呟きつつ、冒頭からまるごと書き直して、数日前ようやく校了しました。

2023-11-23

毎日新聞インタビュー掲載のお知らせ





先週の土曜日に出演したFMヨコハマのFUTURESCAPEは、明日金曜日までradikoで聴取可能みたいです。それから毎日新聞の11月20日夕刊にインタビューが掲載されました。ネット版はこちらでお読みになれます。『いつかたこぶねになる日』について書いていただきました。

とうとう今日、入稿データが印刷所に渡りました。このあとまだ少し推敲をして、問題なく進めば年末に配本とのことです。

2023-11-14

ラジオ出演のお知らせ





今週の土曜(11月18日)、FMヨコハマのFUTURESCAPEにゲストとして出演します。出演時間は10時から30分ほど。『いつかたこぶねになる日』の話をする予定です。

『すばる』12月号の空耳放浪記は「ベースボールがもたらしたもの」と題して正岡子規について書いています。スポーツの秋、ということで。

* * *

前回の日記に「家が一番である」と書いたばかりなのに、先週木曜日から三日間パリに滞在していた。友だちの個展を見にいく用事があったのだ。せっかくなので絵を一枚購入する。それ以外の時間はカフェで本の原稿を書く。発売日はどんどん先にずれ、これ以上の先は存在しないぎりぎりに達した。

2023-11-06

マラソン大会の日曜日





日曜はニース・カンヌ国際マラソン。わたしはカンヌの砂浜に立つ高床式カフェで原稿書き。夜はカンヌのホテルに泊まる。晩御飯のあとはホテルのカフェテリアでまた原稿を書く。

ホテルは5月の時点で予約していたが、どんなところだろうとわくわくしていた自分は愚かであった。疲れるばかりでなにもいいことがない。自宅が一番である。

2023-11-04

奇跡のように軽やかで





ブログを更新しないのはさぼっているのでは全くなく、12月刊行の本の直しが佳境で深刻なまでに時間の余裕がないからだ。ゲラは直され直されて、すっかりもとと別の作品になっている。もともと直しが多いタイプであるのに加えて、最初に内容の見通しを立てられない本(書きたくないことを書くのでどこまで掘り下げられるか不明)だったので、どうしても最後にしわ寄せがくる。さっき友だちが「本、進んでますか?」と連絡をくれたので泣き言をいった。そしたら「だいじょうぶ、だいじょうぶ。真っ赤なゲラなんて普通だよ」と励ましてくれる。

今週は著者インタビューを2社のメディアから受けた。素粒社の『いつかたこぶねになる日』が新潮文庫になったから。そう、なったのだ。ブログで告知したかったのに、はっと気づいたときには刊行されてしまっていた。帯文は江國香織さん。解説は永井玲衣さん。そして装画はguse arseさんで、地中海の波、貝殻、陶器、古代の宮殿など、さまざまなイメージが目に浮かぶデザイン。こんなのありえる?ってくらい奇跡のように軽やかで、じーんと感動してる。