2021-04-10

湊禎佳『古今琉球風物歌集』





私がはじめて琉球の音楽や言葉にふれたのは細野晴臣や坂本龍一のレコードだったんですが、そのころは「音楽の音」として楽しむばかりで、「言葉の音」としてはあまりに審美主義的(標本的)だなあと子供心に感じていたんです。で、けっきょく佐渡山豊のドゥチュイムニィを聴くまで琉球語に他者性を感じたことがありませんでした。ドゥチュイムニィには、琉球語で始まる歌詞が日本語に切り替わる瞬間、目の前の景色があっと変容する感覚があった。なにげない、それでいて暴力的な感覚が。嘉手苅林昌の詞「唐(とお)ぬ世(ゆ)から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 みじらさ変たるくぬ沖縄(うちな)」をまるっと本歌取りしたサビも言葉として新鮮で。

と、こんな話を書くのは、去年の秋に知人から頂戴した湊禎佳『古今琉球風物歌集』を今日また取り出して「アメリカ世」「米和ぬ世」という章をながめたから。

ゲート前に根を生やしある国民を引き抜く県警 根菜採るがに  湊禎佳

琉球米軍司令部(ライカム)の跡地にいづこの国のやら砦のやうなショッピングモール 

琉歌も載っています。気ままにいくつか。

ゆくえ悟り知る つゆの世のえにし 尽きしなき人の 青の死生

夜ふね漕がれゆく 水沫うれはしき こころゆれまどふ ゆくらゆくら