2022-03-31

海原と雪原、あるいは二人の私



前回の話のつづき。

自分が変わったことを「ふしぎだなあ」と思えるのは、以前の自分にかんする記憶があるからだ。

過去の記憶がなくなってしまったら、自分が変わったということに気づきようがない(自分が変わってしまったことに気づかない人って、たまにいますよね?)。

わたしの場合は、心の芯の部分に、ぬいぐるみや甘いものが嫌いな「昔の自分」がいまだしっかりと鎮座している。そして「ふしぎだなあ」と思う「今の自分」とすこやかに同居している。

北の大地で生まれ、東京、奈良、京都、パリ、トゥールーズ、ル・アーヴルを経てニースに来たわたしは、地中海の素晴らしさに打たれて一度死に、にわかに生まれ変わった。ほんとに、ばったりと死んで、蘇ったのだ。しかし蘇ったといっても人間が新しくなったわけではない。人格形成期の体質や自我は、消せない手術痕のように、心身のいたるところに残っている。

そして現在は、ふたつの実存が縫い合わさった気分で日々暮らしている。

だから海で遊んでいても、「今の自分」を「昔の自分」が目で追っている感覚がしょっちゅう起こる。あるいは「昔の自分」に「今の自分」が遭遇する瞬間も、ある。今日だって岩によじのぼって海を眺めながら、目をとじるとそこにうかぶのは、果てしなくひろがる白く何もない雪原だった。

2022-03-29

人は変わるものである



まだ家でのんびりしている。その合間をぬって、土曜日はスケザネ図書館の撮影のために須藤岳史さんと初対面した。

撮影中、スケザネさんに「じゃあここからは、ちょっと二人だけで喋ってみてください」と言われ、困った。だって改めて考えるとよく知らない人なんだもの。ふだん連句をご一緒しているといっても、ツイッターのアカウントをもたないわたしは捌きの冬泉さんとしか接触がないし。結局、妙に初々しい、見合いの席みたいな感じになってしまったよ。ほんとごめんね、須藤さん。

動画といえば、先日のスケザネ図書館を視聴したという方が、背後に羊のショーンやミッフィーが映っていたのを見て「かわいいものが好きなんですね」とメールを下さったのだけど、かわいいものを買ってくるのはわたしではなくうちの夫である。わたしは幼い頃からぬいぐるみが苦手で親に買ってもらったことも、また自分で買ったこともない。ついでに書くと甘いものも苦手で、食べると頭がいたくなって寝込んでいたものだ。それがいまの夫と一緒にいるようになってから少しずつ耐性がつき、いまではぬいぐるみで遊ぶことをおぼえ、甘いお菓子のエッセイを書いたりなぞしている。人って変わるねえ。水着になるなんてのも昔ならば有り得べからざる所業であったが、不惑をすぎてから突然ビキニを着て狂ったように海で泳ぎ出したのだから、なんなんだろうなあ、ふしぎなもんだなあ、まったく。人は変わるものだ。これからも、ばりばりと音を立てて変わっていくだろう。

2022-03-19

船便とマンドラゴラ



須藤岳史さんとの共著『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』が刷り上がり、まずは予約注文の方々へ向けて配送されているようだ。わたしも版元に「船便で送ってください」と昨日頼んだところ。なぜ船便かというと、現在日本からフランスへの航空便が全面停止中だから。到着までには早くても1ヶ月かかるみたい。いや状況が状況なので、もしかしたら行方不明になるかも。どきどき。

そんな『なしのたわむれ』よりも気になるのが、おととい発売の『小説すばる』連載中のエッセイである。柊有花さん、今月はどんな挿絵を描いてくださったのかしら?とすごく楽しみで。連載初回は、頁を開いた瞬間、心臓が音楽を奏で出したほど感動した。まるで自由な心のありようをそのまま線にしたような、それ自体がひとつの随想を象っているかのような絵だったのだ。音符をこりこりと書き込まれているうちに我慢できなくなって、わっとほどけてみずから歌い出しちゃった五線譜みたいな線、といってもいい。こちらも船便なので手元に届くのはずっと先のこと。

もういっこ。今日津田雅之さんのこんなツイートを見かけたのですが、


そういえばマンドレイク(マンドラゴラ)って、きのうの日記に書いた『健康全書』にも出ていたなと思ったので、その絵を抜粋します。これ、犬に抜かせるんですって。怖い草だから。怖いよね。ちょっと触ったとたん「ぎょゑーっ!」とか叫ばれたら。おしまい。

2022-03-18

イブン・ブトラーン『健康全書』





たまには休もうと思い、一昨日からぶらぶらしている。上の画像はマルセイユの欧州地中海文明博物館で見かけたイブン・ブトラーン『健康全書』Tacuinum Sanitatis。隣には『サレルノ養生訓』も展示してあって、自然と暮らしと美術と辞典とかわいいものが好きな自分にとってうっとりするような空間でした。この本、生き生きと克明で、本当に素晴らしいですよね。

2022-03-10

海とか、森茉莉とか、質問募集中とか。





手術は終わったものの、まだ日常がおぼつかなく体力増強に励んでいる。きのうも人気のない海岸をもくもくと歩いた。


先日のブログに「今度またスケザネさんとなにかやるかも」と書いたのですが、スケザネさんの司会で須藤岳史さんとの『なしのたわむれ』刊行記念対談をすることが決定しました。とても緊張しています。須藤さんと話すの初めてなんですよ。だいじょうぶかしら。ただでさえぼんやりした頭がいっそうぼんやりしている今日このごろなのに。そんなわけで現在、視聴者からの質問を募集しています。本と無関係のパーソナルな質問でもかまいません(なにしろ刊行前ですし)。募集場所はツイッターです。#なしのたわむれ刊行記念とハッシュタグをつけてツイートしてください。またこちらのコメント欄に書き込んでいただいても結構です。締め切りは3月26日午後9時。どうぞよろしくお願いいたします。


きのうは海に行く前に、一時間半ほど「空耳放浪記」の編集者Kさんとの打ち合わせがあった。Kさんが「連載していて何か困ったことはありませんか?」と優しくきいてくれるので、小学生みたいな初歩的な質問をいろいろした。そのあと、これまで生きていて一番感動した随筆はなにかといった世間話になり、わたしは森茉莉の名を上げた。森茉莉の何が素敵かって、文章の面白さは言うに及ばず、不安や苦悩や逡巡といった感情を見せないところがいい。書き手にとって文章とは生きる場所、つまり自由への闘争の現場だ。自由についてあれやこれやと書き綴るのではなく、実際に文章それ自体を自由へと解き放ってみせること。森茉莉の文章にはそういった志の高さがあり、決意があり、同志たちへの秘かなエールがある。

2022-03-04

白い床の白い本





須藤岳史さんとの共著『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』が出るので、このところ毎日ツイートを見るようにしていたら、白い本をならべた写真を真似したくなった。愛すべき白たち。それからクリッパー。最近うちではこんな箱入りのものを飲んでいます。

2022-03-01

作業終了。





2月26日の「スケザネ図書館」1周年記念生放送は30分の出演予定が、トラブルを引き起こしてしまい15分しか出演できなかった。ご視聴の方々にとても申し訳ないことをした。終了後、壁を向いてひっそりと落ち込んでいたらスケザネさんから連絡があり、まだ詳しくはいえないけれど、また近々いっしょになにかしそうな雰囲気に。

と書きながらスケザネさんのツイートを見ると、クリッパーの箱の画像が。だいたいわたしはここのお茶を飲むときは、ティーバッグの袋をきれいに破って、飲みながら、ええと、こう、こんなふうに指でつまんで、じっと空いた袋を眺めるんですね。で、このじっと袋を眺めている時間っていうのが言葉のない、しんとしたつかのまで、毎回すごく幸せなんです。おそらく小ささがいいのでしょう。

それから今朝は『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる対話』の特典付録を書いた。なにも考えず1行目から書きすすめ、これなら30分くらいで仕上がるかと思いきや、あれやこれや細かいところを直しているうちに2時間かかった。家人に見せると「殺人事件が起こらないところが弱いね」と批評されるが、今日が締め切りだというのに今からそんな要素をもりこむのは不可能である。次回の課題としたい。

午後には須藤さんの原稿も上がり(これがとても美しい文章!)、表紙写真の候補も出そろって、あとは本当に刊行を待つのみ。3月23日刊行なので、手元に届くのは4月中旬といったところか。

ちなみに特典付録付きの『なしのたわむれ』は素粒社のオンラインショップでも購入できます。日本国内は送料無料です。お支払いはクレジットカード決済、コンビニ決済、翌月後払い、PayPal、銀行振込、キャリア決済、楽天ペイ対応とのこと。さてクリッパーでも飲むか。