今回はわりと長く日本にいるんですが、2週間は自己隔離のため家族や知人に会う時間がなくてざんねん。飛行機に乗る前と、降りた後、2回もPCR検査したのに、なんでさらに自己隔離しないとならないんでしょう。しかも家にとじこもっているのしんどいし。変わったものが食べたくなってくるし。ラーメンとか。
ところで今日「日本の漢詩人を5人えらぶとしたら誰になるだろう?」と考えたんですが、菅原道真、良寛、夏目漱石あたりはすぐ決まって、ここから先は各自の色が出ると思うんです。わたしだったら島田忠臣を入れます。そして最後の一席は空白の護符、あるいは飛び道具としてとっておきます(頼山陽なんか、とってもよく飛びそう)。
2021-02-09
空白の護符、あるいは飛び道具
2021-02-06
小津夜景×池澤夏樹トークイベントのお知らせ
2月26日金曜日、本屋B&Bにて、作家の池澤夏樹さんと「小津夜景さんって何者?」と題してオンライン対談を行います。『いつかたこぶねになる日』刊行記念です。
開始はリアルタイム配信が午後3時から。終了後は1週間のアーカイブ視聴が可能です(アーカイブご視聴のみご希望の方もイベント開催までにお申込みください)。詳細はこちら。お越しいただけますと、とてもうれしいです。
それにしてもタイトルの「小津夜景さんって何者?」ってすごくないですか。恥ずかしすぎる。もちろん「版元のお考えに従います」って言ったのわたしだから、まったくの自己責任なんですけどね…。
あと当日は、池澤さんがいままで聞かれたことのないだろう質問をしたいなと思っています。あれだけ膨大なインタビューを受けていらっしゃる作家なのに、そんなのあるの?と思ったあなた。もちろんありますとも(たぶん)。池澤さんファンの方は楽しみになさってくださいませ。
2021-02-05
2021-02-03
2021-02-02
2021-01-30
2021-01-27
対話とは何か
いったい対話とはなんぞや……って考えたことありますか? わたしは昨日はじめて考えました。
というのは昨日ですね、一方の発言に対して他方が補足したり、疑義をはさんだりしつつお互いの共通認識を目指し、ついになにかしらの結論ーー結論などはないといったよくある結論も含めてーーに至るといった、いわゆる正反合のステップをどこかしら前提とした対談をいくつか立て続けに読んで、わたし、これは対話ではなくロマン主義的な見世物だな、と思ったんですよ。弁証法って法廷劇、つまりスペクタクルですから往々にして観客目線なんですよね。いきおい対話者たちも自意識過剰になって、どこか嘘っぽい。
わたしが「対話って、ほんとはこうじゃないかな?」と思うイメージは、かんたんにいうと禅問答みたいなものです。すなわち、語りえないものを語るための問いを奏でるあそび。対話者同士のあいだでしか通じない独創的な言語をこしらえるあそび。正面からではなく、斜めから覗きこむあそび。もちろんこうした流儀は、第三者の目には、対話者たちがお互いの話をろくすっぽ聞いてないように映るでしょう。でも対話者たちがお互いの世界に対してひらかれるとき、それ以外の世間に対してとじてみえるのはありがちなこと。ほんとはとじてなんかいないどころか、ほとんどあけっぴろげなんだけど、対話者たちが遠くの星にいるように感じられて、観客は、ぽかん、としてしまうわけです。
2021-01-23
署名の逃れ方
「週刊俳句」第718号の話。四ッ谷龍「本の署名を考える」にわたしの名前が出てくるのですが、わたしは署名をするのもされるのも好きではない人です。
それで最初の本を出したときは煩悶し(あまりにおのれの流儀とかけ離れているから)、しょうがないから、苦肉の策で、後ろの見返しページにしてました(前に書こうが後ろに書こうが、署名は署名なんですけどね)。だってさ、わたしにとっては、わたしの署名なんて、ただの汚れと変わらないじゃん? だから、頼まれるたび、えっ、本を汚しちゃうわけ? いまの方が綺麗なのに正気?ってなもんで。
でね、『カモメの日の読書』を出すことになったときは、わたしが「小津夜景」と書かなくても、誰もが納得せざるを得ないようにしようと画策した。それがこちらの方法です。つまりわたしは本ではなく、イラストにサインすることにしたわけ。
イベント終了後は、あらかじめ考えていた方法で本にサインをする。サインってなんだか偉そうだし、なにより単純に恥ずかしいのでなんとかならないかなあ…と前から思案していたのですけど、下の写真の場所だったらすんなりできるので気に入っています。(ウラハイ「署名と花籠」より引用)
そんなわけで、わたしはこれからも、本ではなくイラストに「ozu」とサインしてゆく所存であります。
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