結婚して半年ほど経ったころ、同居人がわたしの剝いたりんごを食べながらとても嫌そうな表情で、
「あのさ、なんで君のりんごの剝き方ってこんなに雑なの? かならず毎回、変な剝き残しがあるんだけど?」
と不満を述べたことが、ありました。
言われた方は大驚愕。というのも、こっちは同居人のために心を込めて、りんごの表面にわざといくばくかの皮を残していたのですから。それで思わず「うそ! このりんごの素敵さ、ほんとにわからないの?」としばし押し問答してしまうはめに。
それにしても、何故こんな奇癖が当時の自分にあったのかと言いますと、その原因は明白で、幼少のころ、母がわたしのために果物を剝いてくれるとき、
「ほら見て。おかあさんの果物の剝き方。セザンヌのタッチみたいに綺麗でしょう?」
と言いながら、いつも少しだけ皮のついた状態でじかに手渡してくれていたからです。そのせいでわたしは、果物を美しく剝くときは、幾筋かの皮をすっと残して、木彫さながらに〈刃物の感触〉や〈素材の質感〉を演出するべきものと信じ込んでいたのでした。
ちなみにこの話、オチはありません。偶然きのう思い出したことを書いてみただけ。唐突でごめんなさい。
あ。
ええと、うちの同居人は、わたしが勤め人だったころは毎朝お弁当をもたせてくれた程度にまめに料理をする人です。りんごの皮くらい自分で剥けよ!と思われたら相棒だけに不憫なので、付記。
「あのさ、なんで君のりんごの剝き方ってこんなに雑なの? かならず毎回、変な剝き残しがあるんだけど?」
と不満を述べたことが、ありました。
言われた方は大驚愕。というのも、こっちは同居人のために心を込めて、りんごの表面にわざといくばくかの皮を残していたのですから。それで思わず「うそ! このりんごの素敵さ、ほんとにわからないの?」としばし押し問答してしまうはめに。
それにしても、何故こんな奇癖が当時の自分にあったのかと言いますと、その原因は明白で、幼少のころ、母がわたしのために果物を剝いてくれるとき、
「ほら見て。おかあさんの果物の剝き方。セザンヌのタッチみたいに綺麗でしょう?」
と言いながら、いつも少しだけ皮のついた状態でじかに手渡してくれていたからです。そのせいでわたしは、果物を美しく剝くときは、幾筋かの皮をすっと残して、木彫さながらに〈刃物の感触〉や〈素材の質感〉を演出するべきものと信じ込んでいたのでした。
ちなみにこの話、オチはありません。偶然きのう思い出したことを書いてみただけ。唐突でごめんなさい。
あ。
ええと、うちの同居人は、わたしが勤め人だったころは毎朝お弁当をもたせてくれた程度にまめに料理をする人です。りんごの皮くらい自分で剥けよ!と思われたら相棒だけに不憫なので、付記。