きのう、ある方から『カモメの日の読書』についての素敵な感想をいただいたことがきっかけとなって、俳句における〈構造と質感〉との問題について考えていました。
というのは『カモメの日の読書』のある章で「俳句の質感を楽しみたい」という話をしているのですけれど、実のところわたし、性格的には質感派ではなく、むしろ相当構造派なんですよね。
で、それがために、わたしにとって構造を楽しむという行為は、自分を愛することと容易に繋がってしまうんです。
けれど自己愛って本当つまらないんですよ。息苦しいし。どうせ愛するのなら、自分ではない、もっともっと素晴らしいものを愛したい。
そんなわけで、わたしは質感を愛し、それを楽しむのでした。
というのは『カモメの日の読書』のある章で「俳句の質感を楽しみたい」という話をしているのですけれど、実のところわたし、性格的には質感派ではなく、むしろ相当構造派なんですよね。
で、それがために、わたしにとって構造を楽しむという行為は、自分を愛することと容易に繋がってしまうんです。
けれど自己愛って本当つまらないんですよ。息苦しいし。どうせ愛するのなら、自分ではない、もっともっと素晴らしいものを愛したい。
そんなわけで、わたしは質感を愛し、それを楽しむのでした。