2019-05-21

新作肩書皆先生。



明治狂詩のジャーナリズム性についてのメモ。

杵屋仙史『廣告行』

近來競爭流行折,種種廣告新聞列。
或橫或倒或花欄,別見大字出頭凸。
賣藥功能塞幅處,賣家數行僅容膝。
化妝水與領白粉,必雲白色恰如雪。
吳服賣出夏冬初,雞卵屋例兼鰹節。
近日最多是商標,新奇圖樣顯日日。
組置析析塡穴者,定是有緣故特別。
新版賣出並天狗,古本買入競奮發。
或有吹聽已馬鹿,又有密事自吾潰。
新作肩書皆先生,列傳中人悉豪傑。
定時刊行雜誌類,木板白字自兼設。
中村樓會書畫筵,井生村樓多演舌。
出處不慥或無名,是等為乖事咄咄。
夫出又出皆廣告,大小新聞常不堪。
忽見同書數多出,互述功能何不劣。
又見大阪與東京,共稱本家事何拙。
乍然廣告商賈種,析骨於茲甚可悅。
多少利害無據譯,豈向此輩並理窟。
唯有一事未言盡,此詩未可容易結。
此節頻起英學校,誰雌誰雄元不晰。
彼誇我誹吹法螺,共謂我聖何自惚。
次之漢學青年子,又被浮於流行熱。
詩文添刪大先生,多如濱真砂不竭。
文雲丸吞韓柳蘇,詩稱唐宋都見徹。
賞贊評言近諛辭,自雲旨丁寧心切。
曰何何社曰何館,每一雨降增不輟。
乍去所得潤筆料,非雲支下宿數月。
根津三界不嫌遠,直出懸狎妓拜謁。
吾友何某語之詳,某與某人住同室。
嗚呼,段段惡口雖恐縮,此詩吾豈無故綴。

「…時事を詩に読み込んだ入念な描写で、明治期の社会の風潮転換の貴重な実録となっている。この『廣告行』も同様に、明治維新後の東京や大阪などの大都市で、様々な商業広告が雨後の竹の子のように現われ、都市の新聞・雑誌に掲載されて、市井の隅々まで広まっていく様子が窺われ、広告が都市生活や市民の思想観念に多大な影響を与えたことがわかる。しかしながら、各種広告には誇張や虚偽の言葉が混じっており、ひどいものは事実と逆であったり是非が混合していたりしたため、社会秩序や公共道徳に悪影響をもたらしたのである。杵屋仙史のこの狂詩は、当時の広告の数々の問題を挙げて、辛辣な批判を加えたものであり、詩人の社会に対する鋭い観察眼と強い責任感を映し出すものである。注目すべきは、明治の詩壇では杵屋のような漢詩人が数多く存在することで、かれらが創作した実録詩は多く狂詩のスタイルをとっている…」(厳明「近世における日本狂詩の論述」、山本景子訳)

「〇〇行」の「行」は物語的長編の、主として七言古詩を指します。作者の杵屋仙史は明治-大正時代の新聞記者三木愛花(1861-1933)のこと。日本人名辞典によると「朝野新聞」「東京公論」記者などをへて万朝報(よろずちょうほう)に入社。相撲・野球に通じ、新聞に将棋欄を創設したのも彼らしい。下の出典画像(三木愛華『古今狂詩大全』)をクリックすると、読み下しがわかります。