2024-05-24

題名のない日常





東京でのトークイベントが終わり、さあようやく原稿にとりかかれるぞと思った矢先にまたもや体調不良。今度は帯状疱疹だ。この病気は身体の片側のみに症状があらわれるらしく、わたしも最初はそうだったのだけど、疱疹の帯がじわじわと成長して今朝は半身の境界を突破していた。痛すぎて動けない。でも食べないと薬を服用できないので、仕方なしにベッドから転がり出、床に這いつくばって朝食を摂っていたところへ友達から「最近どう?」とLINEが。すかさず患部の写真を送ってあれこれ言い合ったら気力が充填されたので鍼灸院に出かけた。鍼灸師さんが鍼の刺さっている患部の写真を撮ってくれたので、それも友達に送った。

早めにお昼を食べ、三時間くらい眠って、いまはゲラ直しのために起きたところ。背中と胃に激痛が走る。そうだ、最新刊の『ユリイカ』に寄稿しています。散歩特集とのことだったのでこれ幸いと、ふだんどおりぶらぶらと綴りました。

2024-05-21

吉村萬壱×小津夜景トークイベント「本の書き手が潜る世界」





先日の下西さん、山本さんに続く『ロゴスと巻貝』刊行記念第3弾として、6月18日(火)京都の恵文社一乗寺店にて小説家の吉村萬壱さんとのトークイベント「本の書き手が潜る世界」が開催されます。二人で本を書くことや読むことについて自由に語り合う会で、オンラインでもご視聴可能です。みなさまのご来場・ご視聴をお待ちしております。

■日時:2024年6月18日(火) 18:30開場 / 19:00開始(20:30頃終了予定)
■会場:恵文社一乗寺店COTTAGE
■定員:30名
■料金:1,500円
■会場ご参加の方はこちらのご予約フォーム、もしくはお電話(075-711-5919)、店頭にてご予約ください。オンライン配信のお申し込みはこちらのページからお願いします(オンライン配信の受付は5/31の23:59締切です)。

その他さいきんの活動をメモ。

●三省堂書店 神保町本店2周年記念「作家のプロフと愛読書展」に参加しています。会期は5月1日から6月30日まで。
●梅田の蔦屋書店「はじめての詩歌」フェアに参加しています。会期は5月13日から7月7日まで。選書理由を掲載した無料リーフレット配布中。
●『BRUTUS』2024年6月1日号のアンケートに答えました。質問は「あなたにとっての忘れられない一句は?」で、「い。そこに薄明し熟れない一個の梨/崎原風子」と「コーヒー沸く香りの朝はハツトハウスの青さで/古屋翠渓」のどっちにするか迷って、結局コーヒーの句にしました。理由はシンプル。今の日本で古屋翠渓の句集を折りにふれて読んでいるの、たぶん私だけだろうなと思ったから。風子の方はまだ読者がいますしね。私がことあるごとに古屋翠渓を推しているのを知る人たちは「この人ほんとに好きなんだな」って思うかもしれません。けど、これ、ただ好きってわけじゃなくて、研究目的以外で読む人がほとんどいないハワイ日系移民の俳句に少しでも光を当てたいからというのも実は大きいんです。

ところで、風子はアルゼンチン、翠渓はハワイと生きた国は違えど、移民と母語との関係において両者は同じ現実に直面していたと思います。それはどんな現実かというと「移民にとって母語で書くことは政治的な行為である」ということ。たとえ本人にそのつもりがなくても、社会の側はそう見る。母語というのはアイデンティティの砦だから、それを使うことは「同化に抗う自己」を再確認する作業にほかならないわけです。風子や翠渓の作風からすると外国語で書く選択肢も可能性としてありえそうですが、彼らはそうしなかった。そこには「同化に抗う自己」の姿が絡んでいたでしょうし、さらには彼らが「書く」とき、日本語それ自体の中に向き合うべき重要な課題を見出していたのだろうとも想像します。

さらに余談。わたしは「小さなときから自分は移民みたいだったなあ」と思うことがあります。これは引っ越しが多かったとか、そういうのとは無関係の話で、なんというか、他人には伝わらない超私的な言語世界が頭の中に存在し、それを言おうとするたび大人に馬鹿にされたり、胡散臭く思われたりするのを感じていたという意味なんですけれど。と書いて今、いきなり気づいたんですが、そもそも子どもというのはわたしに限らずみんながみんな、本人が望んだわけでもなくこの世界に流れついた民であり、十数年かけて社会に同化していく任務を課せられているのでした。

2024-05-14

手離すたび本は面白くなる





先週末は2夜連続のトークイベント。総勢約130名の方にご来場およびご視聴いただいたとのことで皆様ありがとうございました。

5月に入ってから体調を崩してしまい、今回の東京滞在は取材1社以外、予定をすべてキャンセルしてイベントにのぞむことに。関係者各位との顔合わせなし、書店回りなし、招待先への訪問なしという状態だったので、無事終わってほっとしている。

イベントではいろんな話が出たけれど、一番苦労したのが本とわたしとの距離感について説明することだった。そんな中、下西風澄さんが「自分が良しとするわけではない作品であっても引用する」という私の態度に共感してくださったことに安堵し、また山本貴光さんからは「なぜ本を愛しすぎてはいけないと思うのか?」という恐ろしく直球の質問を受け、イベント終了後もその答えをずっと考えていた。で、ぼんやり分かってきたのは、本を愛しすぎないというよりむしろ愛するという行為を愛しすぎない、要は煩悩にふりまわされたくないと自分が願っているってこと。わたしは本を自己規定の具にしたくないのだ。砂浜の貝殻を拾うように手に取り、その響きに耳を寄せ、臆せず手から離す。で、この最後、手から離す、という行為に何か大切な秘密が隠されているような気がしている。ひとつの断ち切り・断念の瞬間に、読書の記憶あるいは体験が劇的な変容する予感のようなもの。

もうひとつ「本当のことだけを書きたい。なぜなら本当のことしか面白くないから」という話。こっちの理由はシンプルで、自分に残された時間がそれほど長くないと思っているからだ。本当とは何かを探求することがもはや日々の課題といってもいい。

2024-04-20

小津夜景×山本貴光トークイベント「本という地図、読むことと書くこと」ならびに食卓の和装本





連続トークイベント第2弾の情報です。5/12(日)19時より、東京は下北沢にある本屋B&Bで『ロゴスと巻貝』刊行記念イベントが開催されます。ゲストには文筆家・ゲーム作家の山本貴光さんが登場。当日は『ロゴスと巻貝』を軸として「本という地図、読むことと書くこと」をテーマに語らいます。サイン会もあるそうです。チケットの購入はこちらからどうぞ。みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

話は変わって上の画像ですが、これ『ロゴスと巻き貝』刊行記念として巻いた連句(こちら)なんです。佐々木未来さんのドローイングを佐藤りえさんが折本に仕立て、拙宅へ送ってくれました。で、どんなふうに写真を撮れば素敵かしらとしばらく考えていて本日あっと閃いた。食卓っぽくするのがいいんじゃないかと。


丸帙に入っています。


表まわりの紙はシルクスクリーンプリントのコットンペーパーでドイツ製。たんぽぽの綿毛なのでしょうか。


見返しは後染和紙で、帙の内張は東南アジアの手漉き紙。


完全に和装の技法を用いてほぼ洋紙で仕立てた理由は小津へのオマージュだそうで、まことにかたじけないことです。

2024-04-13

小津夜景×下西風澄トークイベント『ロゴスと巻貝』をめぐる風景





5/11(土)20時より、東京の三軒茶屋にあるtwililightで『ロゴスと巻貝』刊行記念イベントが開催されます。タイトルは「ロゴスと巻貝をめぐる風景」。ゲストにお迎えするのは哲学者の下西風澄さん。当日は下西さんに『ロゴスと巻貝』をご案内いただいたのち、本書で取り上げた作品を軸に、ジャンルを自由に横断する本との関わり方についてお喋りする予定です。

今回のトークイベントは連続企画で、東京では2回開催されます。場所とお相手はそのつど変わって、もう一人は本ができあがる前からお願いずみの方。で、一ヶ月くらいまえでしょうか、担当編集者のKさんに「小津さん、せっかくの機会ですのでもう一日イベントやりましょう。どなたか話してみたい方はいますか?」と質問され、おずおずと下西さんのお名前を挙げたんです。そしたらなんと先方がお引き受けくださいました。わたしのような不束者のためにお時間を割いていただくことにすごく恐縮しています。あまりに恐縮しすぎて「あの。ええと、前もってオンラインでご挨拶したほうがよくないですか?」とKさんにメールしたら、わたしの弱気を察してくれて、来週ご挨拶することに。

そんなわけで、みなさまのご参加を心よりお待ちしております。チケット購入は下のXのリンクからどうぞ。

2024-04-10

第3回 現代俳句を舌で味わう〜小津夜景『花と夜盗』に寄せて





《info.1》4月8日『カモメの日の読書』が4刷になりました。皆々様に熱く御礼申し上げます。

《info.2》『すばる』5月号の空耳放浪記は「引用のメカニズム」と題して、まつおはせをの一句についてあれこれ空想してみました。

《info.3》松本にあるbooks電線の鳥主催の連続企画「第3回 現代俳句を舌で味わう〜小津夜景『花と夜盗』に寄せて」の日程と内容が決まったとの連絡をいただきました。日時は2024年6月16日(日)12時頃から17時頃まで、会場はゲストハウス東家。今回は「水をわたる夜」を題材とし、「めしつくるひと」木内一樹さんによる料理、権頭真由さんによるピアノと上條淳香さんによる書の即興実演、小林智樹さんによる漢字解説といった演目が繰り広げられます。ざっと5時間に及ぶ盛りだくさんの内容で、参加費は4200円、定員は15名(小津は出演しません)。料理人の木内さんは文章も面白く、お品書を拝読するのが楽しみ。権頭真由さんは寓話的世界観が曲名にまで行き渡った作風で、ライブでは観客が観た夢の内容を書いて渡すと瞬時にその夢を音で紡いでしまうとの噂。書の上條淳香さん、漢字解説の小林智樹さんにもお礼を申し上げます。詳細は画像でどうぞ。

2024-04-05

私たちは今なお歩みを止めない





冊子「書肆侃侃房の海外文学」に書評「私たちは今なお歩みを止めない」を寄稿しています。取り上げたのは高柳聡子著『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』です。企画展風に、じっくりと詩を鑑賞することのできる本でした。

廬を結びて詩境のはずれに在る身としては「女性詩人」という言葉を聞くたびにむず痒い気分になります。けれど「女性」というカテゴライズを外してただ「詩人」と呼べばこの問題が綺麗に片付くかというとそうではない。なぜならわたしたちは、ただの「詩人」として発想すると同時に「女性詩人」という軛の中で書くことの意味を考え抜いてもきたから。つまり「女性詩人」という概念は、そう名指される側からすると「自由と軛とをめぐる省察」の歴史そのものであり、そこには今後も記憶・継承すべき言説がたんまり存在する。「女性詩」という概念の破棄を目指しつつも歴史は忘却しない。概念の彼岸へと、わーいと手ぶらで走っていくのではなく、道中のしかばねに献じる花籠を抱えるのを忘れないようにしたい、そんなふうに思います。

ところで、話は変わって先週のことなんですが、編集者のKさんと喋っていて『源氏物語』の話になったんですよ。で、思わず「わたし、紫式部に私淑してるんです。石山寺まで彼女の参籠した部屋を見にいくくらい。エッセイを書いていて行きづまるたびに彼女のことを考えます。彼女だったらどう書くだろうって」と言ったんです。すると「小津さんから紫式部の話を聞いたのって初めてかも。そんなに好きなんですか」とKさん。「はい。デビュー作の冒頭も『紫式部日記』を物真似しちゃってます。なんの文学的仕掛けでもなく、ただ自分の気分を上げるだけのために」とわたし。そんなわけで、ええと、こんな感じ。

秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。(『紫式部日記』)

ふみしだく歓喜にはいまだ遠いけれど、金星のかたむく土地はうるはしく盛つてゐる。たちこめる霧。うちともる吾亦紅。水にせまる空木のえだぶり。やすらぐ鳥の葉隠れのむれ。眼に見えるものはいつでも優しげだ。鳥は暗い音色で呼ばひあふ。そのかすかなのどぶえが静かな朝の空白にこんなにも息吹を吹き込むものだから、誰もゐないはずの庭は記憶に呼び出されたまれびとで今やおびただしい。(小津夜景「出アバラヤ記」)

2024-04-02

柩となりし船と船とは





『九重』5号掲載の高山れおな「百題稽古 其三のうちの恋」は六百番歌合の題で組題百句を作ってみせるという趣向。これが華やかでありながら軽い。まるで見えない部分に金糸が縫い込まれているかのような、ワインでいうならブルゴーニュかと見せかけてロワール地方の味わいをもつ連作で、それが川のように滔々と流れていきます。

寄絵恋 金地戦闘美少女図襖とはこれか

いわゆる「とはこれか」俳句。この型では冒頭にどんな言葉をもってくるかが見所ですが、いきなり初句七音で「金地戦闘」は超ゴージャス。中八「美少女図襖」の音密度の高さや文節の切れ方もよろしく、いよいよ期待を裏切らない。で、結句は驚きと呆れを含みつつ、すこんと抜く。雅俗の交雑が文句なしの句。

寄鳥恋 川波や夢みよと恋教へ鳥

「恋教へ鳥」(セキレイの古名)の句跨りと体言止めが雅趣たっぷり。初句「川波や」も痺れます。この語のイメージの弱さ、儚さ、ありふれた感じがかえって切なさを煽るんですよ。またこの句の場合は「恋教へ鳥」の印象が浮き出るようにするという意味でも初句は立てない方がいいですよね。川、波、夢、恋、鳥といった月並みな名詞をずらりと並べて優雅に踊らせてみせる技量もたまりません。

ちなみに『九重』5号には高山れおなインタビューも載っています。聞き手は「月刊狂歌」編集部の花野曲。月刊狂歌って…んな阿呆な。まあ冗談企画ですけれども、題詠と俳句の相性についてなど得心する点が数多く、読み応えがありました。

佐藤りえ「恋すてふ 贋作恋十二題」は高山さんの趣向をさらにひねり、詞書にさらに俳句を添えた短歌連作。

漂恋 月の夜の蹴られて水に沈む石 鈴木しづ子
追憶のついぞ変わらぬ水の上補陀落渡海の船を寄せ合う

死の国に旅立つのに、船を寄せ合う。なんというむなしさでしょうか。りえさんは俳句を書くときと短歌を書くときとで人格の現れ方がはっきりと変わる書き手で(これはもちろん詩形の側にその原因がある)、俳句のときは立体デザイナー的な感性が全面に出る。読者としては知的な喜びを感じます。かたや短歌は本音を聞いているような読み心地で、いかなる本音かというと、それは虚しさです。りえさんの短歌はしょっちゅう虚しい。でもこの歌を読むと、その虚しさこそがついぞ変わらない水の上の追憶を輝かせていることがわかります。それぞれが個別の追憶を生きながら、孤絶を抱えながら、遠く流されながら、柩となった船と船とは、それでも触れ合おうとするのです。

寄橋恋 踊り疲れて白夜を帰る橋がない 永井陽子
船形のお菓子を買って帰る宵 橋の嘆きをたしかに聞いた

「嘆きの橋」(ため息橋)といえばヴェネチア。この呼称は、犯罪者が投獄される前に見るヴェネチアの最後の景色がこの橋の上からであるために、彼らが深いため息をつく橋としてバイロンが『チャイルド・ハロルドの巡礼』でBridge of Sighsと呼んだのがその初め。で、それをひっくりかえし「橋が嘆いている」設定にしたのがこの歌。思うにこれは、地元では日没時、この橋の下でゴンドラに乗り、恋人同士が接吻を交わすと永遠の愛が約束されるという言い伝えがあるから。語順を逆さにするだけで、言い伝えに反する恋人たちの運命を見続けてきた橋の呻吟が聞こえてくるというトリックアートが面白い。それにしても舟形のお菓子の霊力ってすごいんだなあ。