2022-06-16

文学が好きな人のこと





日々集中して句集作りを進めている。現状、初稿をまとめて編集者にわたすところまで進んだ。いまはゲラ待ち。次の作業はレイアウトを話し合い、予定ページ数ぎりぎりまで収録句数を増やすこと。ただし増やすといっても前作『フワラーズ・カンフー』よりは減る予定だ。

前作は俳句経験が短すぎて、句数を決めるのがむずかしかった。結局400句入れたのだけど、これは俵万智『サラダ記念日』がそうだからというのが理由である(当時のわたしは何につけ短歌界の慣習を参考にしていた。俳句界のことはよくわからなかったので)。だがあれから6年が経ち、句集を読むことが多少は増えたせいで気づいてしまった。400句は多すぎる。多すぎるんです。自分のだけでなく、たいていの句集がそう。多い。息切れしちゃう。

話は変わって、きのう編集者との打ち合わせでテリー・イーグルトンのアイルランド文学論が面白いといった話になり、そういえば私にとっての英文学というのはアイルランド文学のことなんだよなあと思った。スウィフトなんかもう大好物で。だいたいにおいて味が濃く、理屈っぽく、ちょこちょこ失敗しがちな、つっこみどころの多い作家がたまらなく好きだ。

文学について考えるたびに、いつも思い出す風景がある。

それはわたしが20代のころ、下宿で本を読んでいたら夫(当時は結婚してなかったけど)がやってきて、
「フランスに留学することにした。一緒に行こう。」
と言われたときのことだ。

突然の事態にぽかんとしつつも、わたしは考えるより先にこう返答していた。

「えぇ〜フランス? フランスって、文学あるの?」

言い放った瞬間、わたしはおのれの発言に驚愕し、頭の中に広がるエウレカの野で梨の天使たちが愉しそうに踊る様子をただ眺めるばかりだった。だって全然知らなかったんだもの。自分がそんなにも文学好きだったなんて。

(追記。来てみたらフランスにも文学はありました。)