2022-11-21

夜の織物(茶菓閑話 1)





あるとき友人の家で茶菓の話になって、星の蜜が好物だと話したら、あ、ちょうどよかった!と友人が台所へ駆け入り、桃の花の形にきざんだスピカを、白磁に盛って出してくれたことがあった。

薄青色の小さなスピカが落花に見立てられ、乳色の皿の上にころがっているさまは何とも清潔なもてなしの感じを受けた。胃の腑が綺麗になる気さえした。薄青色のスピカを平らげると、次は薄桃色のそれ、次は橙色のそれと皿が運ばれ、さらに茜、紫、紺と暮れてゆく空の色を追った。丸柳の楊枝をつまみ、お皿の上で、すうっと滑らすように刺して、一粒ずつ口に持っていく。噛めば、春の夜の甘さである。とりわけ、もつれるろれつの感触が、夜そのもののように思えた。

友人が、これはおまけよ、といってからっぽの皿を運んできた。顔を近づけると、皿の底に、あるかなきかの銀砂が濡れている。それは名もなき星のかけらが放つ淡い光であった。わたしはその光を指でつまみ、そっと口にふくみ、息を止めて飲み込んだ。その瞬間、胃液と一緒にすべてが逆流するような感覚に襲われたが、不快はにわかに収まり、涼風がふうわりと胸の奥を抜けたのがわかった。そうして、わたしは自分の体が内側から輝いているのを知った。それだけではない、体じゅうをめぐる血管という血管が濃い墨色にきらめく糸となり、蜘蛛の巣みたいに空へ、そして地へと伸び、しっとりとした大気を搦めとるようにして全方位に織り張られていたのだ。

そうやって、わたしの夜が創られてゆく様子は、さながら洗い清められ、春風にたなびく黒衣のごとく美しかった。しかし、それは同時に自分の死期が迫っていることをも意味していた。なぜなら夜はいずれ消えゆく運命にあるから。わたしの肉によって織り上げられた夜は永遠ではない。わたしはわたしを夜に磔にしたまま死んでゆくのだ。

地平線がほのかに明るみ、どこまでも果てしなく広がっていた夜は少しずつ崩れはじめた。しだいにわたしたちは力を失っていった(実は夜の織物となった人々がまわりに大勢いたのである。夜がこのように創られていることをわたしはそれまで知らなかったが)。ついにひとり、ふたりと夜の世界に別れを告げる者があらわれた。彼ら彼女らが去った後の夜はますます小さくなり、もはや夜とは呼べないものになっていた。そしてとうとう何もかもが見えなくなったとき、わたしは友人の前に座っていた。

「ああ、おいしかった」
「おそまつさまでした」
「他の茶菓もこんなだったらいいのに」

友人は、こんな古い茶菓は、もう誰もこしらえないわ、と笑った。たしかにそうだ、こんなに古くちゃあいけない。

*  *  *

(追記)この春は、星へ来て三年目になるが、友人と知り合ってからは、お茶会といえばいつもこんなふうだ。スピカとは、要するに星の蜜の一種であるが、来たばかりのころは作法がわからず、金平糖みたいに次から次へと口にほうりこんで、通りすがりの老婦人を怒らせたこともあった。あなた方、地球人はスピカのことを何もご存じない、あの蜜の中にはね、星の命が含まれているんですよ、命が入っているってことがどんなことなのか、想像できるかしら、それはね、星が死んでしまうほどの大爆発ですよ。それがどういうふうにして生まれるのかしら? きっと切ない虫のようにうじゃうじゃ集まっているんでしょうよ。それなのにあなた方ったら、何でもかんでも、ぺろりとたいらげてしまうんだもの、かわいそうったらありゃしない。だってさっきも言ったとおりあなた、星が死んでしまうような爆発よ。そりゃ、みんな死んでしまいますとも、でねえ、それでもまだ残っているんですから。それが星の蜜よ。