2018-05-11

新刊『カモメの日の読書』に登場する漢詩文一覧




また即席ポスターをつくっちゃいました。canvaを利用したのですが、あそこは日本語フォントがほとんどないのですね。ざんねん。以下、掲載順に並んでいます。

「旅夜書懐」杜甫
「贈元稹抄」白居易 
「飲酒二十首 其七」陶淵明
「滕王閣」王勃 
「西域河中十詠 其一」耶律楚材
「蓼花」陸游 
「芍薬」謝希孟
「山園小梅」林逋 
「祭猫」梅尭臣
「春日酔起言志」李白
「春夜宴桃李園序」李白
「從斤竹澗越嶺溪行」謝霊運
「寄殷協律」白居易
「新城道中二首之一」蘇軾
「食茘枝」蘇軾
「飲酒二十首 其五」陶淵明
「飯罷戯示隣曲」陸游
「蔬圃絶句七首 其二」陸游
「梅村」呉偉業
「春前」孟今年(大田南畝)
「春暁」孟浩然
「無題」夏目漱石
「相思」王維
「送沈子福之江南」王維
「昼臥」厲鶚
「無題」頼山陽
「三月念三遊嵐山有憶」江馬細香
「唐崎松下拝別山陽先生」江馬細香
『西遊記』第一回より抄出 呉承恩
「秋声」余林塘
「題秋江独釣図」王士禎
「十一字詩」何佩玉
「十三夜」原采蘋
「関山月」李白 
「岐陽」元好問
「九月九日憶山東兄弟」王維
「鵲」絶海中津
「短歌行」曹操
「原爆行」土屋竹雨
「兵車行」杜甫
「白羽扇」白居易
「送王十八帰山寄題仙遊寺」白居易
「暮春侍宴冷泉院池亭同賦花光水上浮」菅原文時
「過元家履信宅」白居易
「梅花」王安石
「無題」小池純代
「二月十一日崇国寺踏月」袁宏道
「贈陳商」李賀
「偶然作」袁枚
「瘞梓人詩」袁枚
「春中与盧四周諒華陽観同居」白居易
「尋胡隱君」高啓
「春日偶成 其十」夏目漱石
「夢長」王安石
「江雪」柳宗元
『紅楼夢』第五十二回より抄出 曹雪芹
「正月」李賀
「秋夜宿僧院」劉得仁
「寄近侍美妾」一休宗純

2018-05-10

新刊『カモメの日の読書』のご案内




6月20日に新刊『カモメの日の読書』が出ます。先日「もうそろそろ告知しましょうか」と言われ、嬉しくなってポスターをつくっちゃいました。もちろん実物の造本は、このポスターとちがって、プロの手による素敵な仕上がり。内容についても、これから折を見て紹介してゆきたいと思います。

2018-05-08

釣りの思い出





今日は祝日なので朝から海を散歩しました。

釣りをする男の人たちよりほかに、誰もいない海。

子どものころは祖父と、父と、家族と、よく釣りをしました。祖父は釣りキチで、6畳の和室に50本ほどのトロフィー、5帖ほどの楯、2、3枚の賞状(鳳凰や龍の縁ではなく、桐の花の描かれた、たぶんお気に入りのもの)を飾っており、また3畳の和室の壁を改造して、釣具屋さんのように釣竿を展示していました。

父と行ったのでは、よく覚えているのが蟹釣り。岩場から網を投げ入れて、数時間そのまま待ちます。数時間後、岩のはしに立ち、ゆっくり綱を揚げると、血のぬけた餌魚(だいたい秋刀魚)の頭を食しながら、網ひとつにつき10匹ほど蟹がからみついてきます。父はその網をよく確かめ、小ぶりの蟹をはずすと勢いよく海へ投げかえし、残りをクーラーに移すのです。

家へ戻ると、父はフローリングの床に蟹をまき散らします。母が湯を沸かしているあいだ、弟とわたしは蟹とあそびます。蟹は、とてもかわいい。しかし母は湯が沸くやいなや蟹の甲羅をつかみ、宙を泳ぎながら潮の息と昏い海の香を吐くそれを煮え湯へ沈めてしまう。そして軽く茹で上がったところで、蟹の脚をいくつかもいで別の小鍋に放り込み、白葱とあわせてスープにし、朝の残りのパンをオーブンで温め直すのでした。

わたしはフランスに来てから最初の10年間、日本に帰った期間は合計で2週間もなかったのですが、そのうちの半分は祖父と会っていました。癌と聞いたので、帰った。死んでからだと、意味がないから。

膵臓癌だったので手術もできず、祖父はふつうに暮らしていました。釣りもあいかわらず続けていました。

「釣りのいいところは孤独でいられること。海にいると、孤独を恥ずかしがらないでいられるよ。でもやっぱりつらいけどね。」

帰ったとき祖父にそう言われ、思わず手を握りしめたことを覚えています。祖父は社交上手で友達の多い人生を送っていたので、こんな人でもやはり孤独からは逃れられないんだ、と深く胸を衝かれたのでした。

祖父が亡くなったのは、それから一ヶ月後のことです。

2018-05-07

古屋翠渓『流転』1941-1942




ふと「洋書の扉ってどんなレイアウトになってたかしら」と思い本棚をしらべる。中央揃えは胸のあたり、右揃えは高さいろいろ、左揃えはてっぺんに活字が配置されていた。うん、いろいろあるな、と思う。

* * *

古屋翠渓『流転』の目次。

・流転……1941年(昭和16年)→ 1945年(昭和20年)
・戦後……1947年(昭和22年)→ 1957年(昭和32年)
  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
・戦前……1941年(昭和16年)← 1926年(昭和元年)
・大正時代……1925年(大正14年)← 1912年(大正元年)
・附、明治時代

矢印の使い方がおもしろい。時間構成もざっくりとしていい。巻頭句はこれでした。

戦争になつたのかもう私を捕へに来た

1941年に書かれた句は「垣をこぼるゝ花の我家で」に引用があります。1942年は移民局へ回され、大陸送りになった年。3月1日サンフランシスコ港、エンゼル島、3月5日ネバダ州、ユタ州、ロッキー山脈、中部地方、3月9日ウイスコンシン州、5月テネシー州、6月30日ルイジアナ州と流転したみたいです。

護送車から見ても見ても家族は見えない

朝日へまつ白になつた洗濯を干す

雪の中自分の寝るベツドをかつぐ

雪につつまれた小屋の中で賛美歌をうたふ

木が芽をひらく小鳥が鳴く時は過ぎ行く

花の香おくりくる風のどこかへ移動とか

青葉の風の長い手紙をかく

囚われの身が奏でる楽器のない音楽にて

秋が一夜にもみぢしたガムの木に来た

はるばる送られて異郷の空の三つ星

2018-04-30

乳色のミラクル




古屋翠渓『流転』。うれしい。これから少しずつ読みます。

* * *

先日『川柳スパイラル2』のことを書こうとしたら、グリオの話になってしまいました。数句、気ままに引くつもりだったのに。

遠景を小さくたたむ菓子職人  岩田多佳子

浮世絵のように走ってゆく男  猫田千恵子

カレンダーガールだらけだった岬  丸山進

それぞれに異なる味わいですが、構成力があるという点で、いいなあ、と。こういう感じの句を、歌仙で出せたら最高だろうな、とも思ったり。

カメムシに吸われたあとの午前2時  小池正博

この方は2枚目な句が多い。バカを言ってみても、着地が必ずエレガントなんですよ。

やめたひとだけが集まるどうぶつえん  柳本々々

哀しく、可笑しく、怖い。そういえばこの方は『川柳スパイラル1』に、

はろー、きてぃ。約束の地にまるく降り立つ  柳本々々

というごきげんな川柳を出していて、それも好きでした。雪舟えまの近未来感覚が憑依したかのような、乳色のミラクル感があります。春陽堂の公式サイトで5月からはじまる「もともと予報 365日川柳日記(+挿絵:安福望)」も楽しみです。

2018-04-27

田中裕明とお酒・余談





ガムテープ。新しいの買ってきました。早く使いたい。

週刊俳句第575号のハイク・フムフム・ハワイアンは「自由律俳句のスピリット」。ハワイの自由律俳人・丸山素仁について書いています。このひとは古屋翠渓の弟子だったんですね。句集『草と空』を探しているのですが、いまだ発見できず。

数日前、田中裕明の角川俳句賞受賞作である「童子の夢」という題と、そこに収められた〈草いきれさめず童子は降りてこず〉という句とが、酒呑童子のイメージを介して密接に関係していることを書きました。あのあと酒呑童子の俳句はないかしらと調べたら、こんなのが。

雲の峰に肘する酒呑童子かな  与謝蕪村

丹後時代の発句だそうです。これを見て、裕明も大江山に行ったときに詠んでたりして、なんてちょっと思った。

2018-04-26

田中裕明とお酒





田中裕明が「童子の夢」で第28回角川俳句賞を受賞したときの選考座談会(「俳句」昭和57年6月号。この記事の最後に、裕明にかんする部分の抄出あり)を読みました。

出席者は飯田龍太・桂信子・岸田稚魚・清崎敏郎・角川春樹の5名。選考委員たちによる〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈草いきれさめず童子は降りてこず〉の解釈が面白かったので、わたしもじぶんの解釈(鑑賞ではありません。念の為)を少し書いてみます。

〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉について飯田龍太は「幼いときに読んだ童話みたいなものでもいい、そういうものをフッと思い浮かべた。現実に壺盗人がいるということではなくて、ひとつの想像の世界じゃないかな。…『開けゴマ!』のような世界」と語るのですが、これ、酒中之仙と言われた李白その人ではないでしょうか。具体的には「春日酔起言志」や「山中与幽人対酌」あたり。「壺」も、読んだそのまんま、酒壺ではないかと。

併せて記せば、この句の収録された『花間一壺』では「月下独酌」が巻頭詩として置かれ、裕明と李白との近しい関係が公にされています。さらに『花間一壺』という表現はこの詩の冒頭「花間一壺酒」から来ている。つまり、花の中の酒壺、ですね。

この延長で〈草いきれさめず童子は降りてこず〉の「童子」から、わたしがまずもって連想したのが酒呑童子。百人一首の歌をパロった蜀山人の狂歌に〈大江山いく野のみちのとほければ酒呑童子のいびききこえず〉というのがありますが、このふたつは構図も内容もまったく同じ。すなわち酒吞童子が山に籠って酔いつぶれているわけですよ。おそらく「草いきれ」に潜在する感触の一つには「深酔い」もあるはず。

そんなわけで、この句は岸田や清崎の言うように「難解」ということもなく、また桂や飯田の言うように「童子の夢というタイトルとは関係していない」どころか密接に関係している、というのがじぶんの想像です。「酔い」と「夢」とのコラージュは、きわめて李白的なモチーフでもあります。

典拠(発想源)というのは作者側のプライヴェートな事情なので、読者が意識する必要なんてないし、そこに変に気をとられると一句のふくよかさを却って楽しみそこねてしまいます。でも審査みたいな特殊な場面では、もしかすると本歌取りのたぐいかもね、くらいの留保はあっていい。裕明のみやびさって〈古典にあそぶテクスト派〉の側面にそれなりに由来していますし。

酔ふままに深山に入りぬ蕨狩  田中裕明

2018-04-23

ジャン=マリー・グリオの句集




『川柳スパイラル2』をめくっていたら、こんな作品がありました。

○×の×が正しい○である  津田暹

ここから思い出したのがジャン=マリー・グリオ『俳句カウンター便り』の、

I have a dream
I dream I have
I have
僕が在る夢を見ている僕である

という作品。この句集は装幀がおもしろいので、参考写真を多めにアップしてみます。


表紙についている栞をはずすと、こう。緑色の部分はエンボス加工で葉脈が表現されています。


表紙の折り返し部分を伸ばすと、こう。表紙内側は緑色。


散文と俳句とを組み合わせた序章。クール。このレイアウトだと、どんな俳句を持ってこようと散文の流れを中断させずに、両者を呼応させることができそうです。機会があれば真似しよう。


作品を区切っている図案もよつ葉のクローバー。ハッピー。しかしながら、収録作にはデカダン&アルコールの句がたいそう多かったりします。グリオの物書きとしてのキャリアは『シャルリー・エブド』前身の『ハラキリ』副編集長だったことに始まりますので、フランス人はこの幸福な造本に対してある種の含みを感じるかもしれません。