2018-04-09

垣をこぼるゝ花の我家で。




ハワイの日系人はアメリカの中でも特殊な存在で、抑留対象となったのは日系人社会の中心的人物のみ。理由は、農業・実業・知的職業などあらゆる方面において日系人を排除しては社会がもはや成り立たなかったのと、戦争中に15万もの一般人をアメリカ本国へ移送する船を調達するのが不可能だったことなどのようです。

古屋翠渓は富士家具商会という店を経営しつつ、日系人社会の中心的役割を担っていたので、連行は日米開戦後すぐのことでした。

戦争になったのかもう私を捕へに来た  古谷翠渓
ラジオが鳴りつめる戦争とはこうしたものか
キアベの茂る中銃剣にかこまれて行く
暗い中の声が知人の声で監禁されている
キャンプが月夜ではだかにされて並んでいる
捕えられてからのキャンプの月が満月になる

鉄窓にのびあがりのびあがり見る妻も捕はれ来てゐると聞き

最後は短歌。翠渓は歌人としても活動していたので、また機会があればこれについても書きたいです。抑留中は口をひらけばハワイに帰りたいなあとみんなで言い合っていたそうで、戦後、抑留生活を終えた翠渓はこんな作品を詠んでいます。

外の垣にも花の我家でご飯いたゞく  古谷翠渓

うーん。ほんとに佳い句を詠むなあ。この人の作品は、自由律という韻律の、とても素敵な呼吸法を教えてくれる。