2018-04-06

『ポピイ句集』



戦時中はアメリカ各地の強制収容所で俳句の会が生まれ、また句集が刊行されました。古屋翠渓もトパーズ収容所時代、自由律俳句会「ホピイ之会」の『ポピイ句集』に参加しています。

他の収容所で作られた句集はすべて有季定型なので、この会は翠渓が中心となって生まれたのかと想像しましたが、なんと違いました(経緯についてはまた今度書きます)。奥付は1945年1月。一人につき見開き2頁。

松野宝樹は、「巻頭言」で、タンフォーラン仮収容所からトパーズ収容所へ移されてから3年と記している。宝樹は、さらに、「砂漠であろうが貧土であろうが住めば住めるし人の生活のある所に芸術が生れる」と断言し、「[生命の]根強さには頭の下がる尊厳なものがある。その尊厳を代表すると言ふのではないが、この砂漠の中から生れた我々のささやかな句集、この中にも生活のオアシスと熱沙をわたる涼風位は感じて貰へるであろうと思ふ」と期待を表明し、「向上といふことを運命づけられた人間が高きものに、美なるものに向つて道を求めて行く、これも亦人間生命のたくましさであろう。その表れの一ツがこの句集であるといふことにはまちがいひはない」と句集を誇りとしている。一方、後記では(中略)この句集は、「此の且てないアブノーマルな生活を歌つた個々の作句を寄せて見たい念頭から本集は自選輯とした事である」とポピイ之会の方針を纏めている。(粂井輝子「アメリカ合衆国戦時強制収容所内俳句集覚書」)

上の論文に引かれた翠渓の句は次の4つだけ。すごく残念。全部読んでみたい。彼の句集の『流転』という書名は、どうやらこの『ポピイ句集』に掲載された連作タイトルに由来するっぽいです。

1941年12月
月が昇るらしい闇の監視室の鉄窓
天使島
憧れの加州に来たが囚れの身である
ウィスコンシン
大きな力にうちのめされ石を拾つてゐる
テネシイ
夏雲またも行先のわからない旅立ち