2020-08-15

8月15日の過ごし方







昨日と今日は一時間ほど泳ぐ。

海が楽しすぎる。海中に棲めないのがざんねんでたまらない。なぜ自分は魚族ではないのか。なぜ海から這い上がらなくてはならないのか。帰路、1ヶ月くらい海中の国にいたいよね、と家人に同意を求めると、そんなことはない、と言われる。そうかなあ。

午後は梨を切って、冷凍庫で冷やしているあいだ、大理石の床にヨガマットを敷いて寝そべり、音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごす。

諸説ある島の訛りの輪の中で  小津夜景

2020-08-12

古典は誤解より始まる





『図書』8月号掲載の須藤岳史「古楽はいつだって新しい」を読み、表記の問題のあれこれを想う。ここのくだり。

歴史的な版を含めて現代では多くの版が出版されているが、原典版と呼ばれるもの以外には、歴史の中で変遷してきた趣味や版を編集した人の解釈(スラー等の演奏記号や表情記号)が入っている。クラシック音楽を学ぶ際、最初に習うことの一つは「楽譜に忠実であること」だが、忠実さを捧げる楽譜自体が、作曲家の意図を超えた解釈/翻訳版である可能性があることは忘れないようにした方が良い。

これは「古典あるある」ですよね。たとえば万葉集も、真名を仮名にするときに訓釈作業が行われていて、原典版を読んでいる人とそうでない人(私のこと)とでは、見えている景色が全く違う。

若草の新手枕を枕き初めて夜をや隔てむ憎くあらなくに
若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在国

原文では「憎くあらなくに」の「くく」が「八十一」と掛け算で表現され、また「あらなくに」の表記「不在国」も凝っている。こういう仕掛けを見ると、万葉集は「原文+漢字交じりの総ルビ」で読んだ方が面白いだろうなと思います。

たらちねの母が養ふ蚕(こ)の 繭隠りいぶせくもあるか妹に逢はずして
垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘蟵荒鹿 異母二不相而

原文は「蚕」に加え、「いぶせくもあるか」に「い=馬の声」「ぶ=蜂の音」「せ=石花(カメノテの古名)」「くも=蜘蛛」「あるか=荒ぶる鹿」と、計六種類の動物が詠みこまれた動物づくし。さらに「い」と「ぶ」はなぞなぞ仕立てになっています。

もともとは複雑で愉しい歌だったものが、現代の表記だとその情報がすっぽり抜けて、こんなにも素朴で一途な雰囲気にさま変わりしてしまう。恐ろしいことです。

そんなわけで、いっそのこと「古典は誤解より始まる」というスローガンを合言葉とした上で出発した方が、いろいろな先入観を相対化できるのだろうと改めて思った八月の朝なのでした。

2020-08-10

クラゲのような靴を履く





このビーチシューズ、なんだかクラゲみたいで可愛くないですか? わたし、すごく気に入っています。地元の人たちがこの靴に履きかえて海に入ることに気づいて、彼らと同じのを買ったんです。確かにこれを履くと、海中に立ったり、歩いたりするのがらくちん。

クラゲといえば、この国には「クラゲサンダル」と呼ばれるビーチサンダルが実際に存在して、そちらもその名の通りとんでもなく可愛いです。

夢殿やくらげの脚をくしけづる  小津夜景

2020-08-07

海上のおしゃべり






今朝も魚と泳ぐ。海のまんなかに写っているふたつの人影(クリック推奨)は70歳前後の女性。毎朝、海の真ん中でずっと立ち泳ぎしながらおしゃべりしている。わたしが海中にいる間はまったく動かないので、少なくとも15分は立ち泳ぎでおしゃべりを続けているのだ。かっこよすぎる。

* * *

ブログ「俳句的日常」で「世の中〈12音+季語〉ばかりじゃないよ、という話」の実証例として、小津の句が挙がっていました。

たしかにわたしは一句を季題から発想します。というのもわたし、〈12音+季語〉という手法に対して経済的な匂いを感じてしまうんですよ。12音を作ってから季語を足すといったやり方は、12音の内容をより洗練(凝縮・異化を含む)させて〈オチとしての季語〉に還元する作業になりやすく、全体で一つの実存となる句を制作しにくくなるんじゃないかな、というか。

ただ、手法の批判って実は無意味なんです。だって必ず豊かな例外があるんですから。

つまり俳句の価値は、それぞれの句の具体的な仕事と関わっている。手法ではなく作業の中に、感動の種子は眠っている。

わたし自身、〈12音+季語〉に限らず、自分好みではないやり方で書かれた好き句はいっぱいあるし、また自分好みのやり方で作句している時も、そこに安住している間ではなく、そこからふっとはみ出た瞬間に感動が起こるのでした。

2020-08-06

英国と柔術





復活したはずだったのに再び寝込む日々。昨夜は半年ぶりに外食(テイクアウトのケバブだけど)した。なのに今朝も海に行く。体力をつけたくて。泳ぐのは15〜20分。休憩や行き帰りの時間まで含めても半時間で済むのがありがたい。

* * *

川柳スープレックスで、飯島章友さんが「夏目漱石と素晴らしき格闘家たち」という連載をしています(第1回第2回)。川柳誌で外国における日本の武術についての連載を読めるなんてすごいですね。なるべく長く続いてほしい。

飯島さんの文章を読んで、英国の女性参政権100周年にあたる2018年、参政権のために立ち上がった女性柔術家イーディス・ガラッドの話が巷で流行っていたのを思い出しました。イーディスはロンドンにあった上西貞一の道場で柔術を習い、上西帰国後、その道場を夫と二人で引き継ぎ、またその道場とは別に「サフラジェット護身術クラブ」を作って女性参政権運動家の隠れ家とした人物です。サフラジェットと警察との攻防は苛烈なもので、柔術がなければとても闘い抜くことはできなかったとも。ちょっと前に『未来を花束にして』(原題: The Suffragettes)という映画もありましたが、舞台が大逆事件と同じころなのだと思うと、こみ上げるものがあります。

2020-08-02

海を眺める暮らし





毎日海に通っている。時間が自由になる日は早朝、そうでない日は夕食のあとに行く。家人は素潜りをし、わたしは足のつくぎりぎりの場所で遊ぶ。浮き輪があったほうがいいこともわかったので、来週は近所の雑貨屋さんにスイカの柄の浮き輪を買いにゆく。

晩年のジャック・マイヨールみたいな男性が、赤と白のしましま帽をかぶり、右へ左へ、たこのようにゆらゆらと泳いでいる。年期の入った、とてもユーモラスな遊泳だ。

世の中に恋しきものは浜辺なるさざえの貝のふたにぞありける  良寛

海にちなんだ一首。文句なく素敵である。このとき良寛は、さざえのふたを傷薬のふたにしたくて、この和歌を書いて人に送ったとか。

いにしへに変はらぬものは荒磯海(ありそみ)と向かひに見ゆる佐渡の島なり  良寛

これもいい。海を眺める暮らしの良さが、すんなりと伝わってくる。

2020-07-31

半生は舟を持たないままに過ぎ





今日は病院の日。予約制なので、待合室にはわたし一人。暑いからか、ベランダにも椅子が出ていた。というわけでそこに座り、医者が呼びにくるまで待つ。

* * *

連句誌『みしみし』6号を読む。好きだったのはこのくだり。

憂国の志士つどひたる龍土軒  媚庵
切断される赤い鉄骨  桐子
飛び越えた火が褌に燃え移り  恵

褌の句、かっこいいですねえ。それからもうひとつ、一句で光を放っていたのがこちら。

半生は舟を持たないままに過ぎ  ゆらぎ

なんて美しい付句なのでしょうか。すぐに大室ゆらぎさんの作品が読みたくなって、ぱらぱらとページをめくると、ありました。

禾のある落穂拾へば麦の粒溢れて爾余は風に攫はる
滝壺に視線を落とす身体よりずつと遠くに行ける視線を
墓山の崩れに細くたよりなく這ひまつはれる夏藤に花
大室ゆらぎ「鄙の夏」より

すばらしい歌。出会えたことが嬉しかった。

2020-07-29

読書の風景、あるいは人はなぜ本を読むのか。





『トイ』Vol.02より。

ふたり入りもう出てこなさう薔薇の園  干場達矢

花園の内側に感じられる異界の兆しを、〈さう〉といったソフトな同定で捉えたところがこの句の要所。ここは〈さう〉くらい柔らかく受けて、空間の構造が固くなるのを防がないといけない、というわけです(たぶん)。たしかに構造が固いと奥行きも浅くなるから、せっかく園の内側に入っても、非実在感や秘境性が香ってこなくなりますよね。

悪文にリズム先刻より囀  干場達矢

これはオーラのある句。まず〈リズム〉と〈囀〉といった音楽つながりの対句と双方の語呂の近さがいい。次に〈先刻〉という語の選択がいい。切り返しに置いたときの引きが強いです。それから〈より〉と〈囀〉との音節上の相性がいい。下五の字余りに納得の強勢を生み出しています。

ところで、この句にはもうひとつ面白いことがあって、それは何かというと、

数ページの哲学あした来るソファー  西原天気

との類似性です。西原さんの句も、出だしの〈数ページの〉が奏でる装飾音的な多幸感や、〈哲学〉と〈ソファー〉の取り合わせの巧さや、未来へとひろがる〈あした来る〉の盛り上がりを〈ソファー〉という意想外のオブジェクトで受け止めたところなどが見事ですが、これらふたつを並べてあっと気づいたのは、どちらの句も前半が「難書との取っ組み合い」で、後半が「外部からもたらされる快楽」になっていることです。

これ、偶然の一致ではなく、読書の一景としての普遍性がありそうに思われます。

言葉にかじりつき、その内へ内へ潜ろうとする意識と、本なんて捨ててこっちへおいでよ、外はこんなにも愉しいのだから、と誘う世界。人はそのあいだで引き裂かれることもあれば、うまく一冊を読み終え、脱皮しおおせることもあります。

一冊の本を読み終わり、外に出て海を見たときのあの輝き、一度死んで生まれ変わったようなあの悦ばしい感覚を思い出しながら、そんなことを考えました。