2018-08-30

炭酸考





きのう、ice cream sodaの写真をながめつつ

「飲むのは、炭酸、ちょっと苦手」

という人に

「炭酸は、ちょっと飲みにくい感じが、いいのです」

と指南する。

そのあと、その人がくれたシェーアバルト『小遊星物語』を読む。おもしろい。たとえば、夜の風船果実について。

そこに光っていたのは、ヌーぜの灯台群ばかりではなかった。樹という樹が果実や花のかわりに大小の風船をつけていて、これが昼のあいだこそだらりと無気力に吊下っているものの、夜ともなれば大きく膨らんだその燐光色に発光する色彩を、夜のふところ一面に撒き散らすのだった。

あるいは睡眠用の風船嚢。

眠りに入る前に、パラス人は背中のうしろに、ある皮膚組織をこしらえた。それは疲労の訪れとともに左右に拡がって、軀の上の方でぴったりと閉じ合わさり、こうして睡眠者の体がいわば巨大な縦長の風船嚢の中に入り込んでしまうのだった。


またあるいは気泡煙草。

この風船嚢の中でパラスの住人たちは気泡煙草を吸った。煙草は左の腕から生えていて、根の一端が口の中に挿しこまれている。そこで口が気泡煙草のかぐわしい香りを呑いこむと、ややあって鼻と毛穴とから小さな気泡群が抜けてきて、これが風船の中でみるみる大きくなり、風船の天井に貼りついてしまう。気泡は軀を洗滌し  そして光を発する。

パラス人は眠るときにはもはや発光しない。

炭酸って、ここに書かれた法悦に、ちょっと似ている  光に濡れるところも。

サイダーをほぐす形状記憶の手  小津夜景

2018-08-27

ぴったりはまらないもの



のぞきみみ(ミミヤマミシンHPより)


知人のイラストレーターが「あなたの作品にすごく似てる」と教えてくれたミミヤマミシン(曽田朋子)の帽子。とても楽しくて、むずむずしてきます。ミミヤマミシンのHPをみると、

「わかりかた」を探してつくっています。言葉や文字だけでわかりたがるアタマにぴったりはまらないものをつくろうと思っています。

とのこと。ああ。「アタマにぴったりはまらないもの」とは、なんという哲学的な言葉だろう。

酒樽と暮らすクラゲ・ド・メタフィジカ   小津夜景


≫ スープの表面(ミミヤマミシンHPより)

2018-08-25

細胞膜新聞(海外支局)





チャンスだとかシマフクロウだとかを思え  正岡豊

この夏、わざわざ京都に行って入交佐妃・正岡豊とあいまみえたとき、正岡さんが枡野浩一の短歌が書かれたTシャツを着てたんですよ。で、それなんですか?と聞いたら、マスノさんのTシャツだよと言われて、いやそれは見ればわかるけど?と思ったんです。それが先日こちら(*)の対談を読んでやっと意味がわかりました。なるほど。

ところで、正岡さんの俳句を知る人は、あまりいないのではと思うのですけれど、これが正直、誰にも見せたくないくらいわたくし好みなんです。

とかげにもジム・ジャームッシュにも似ぬ生よ

サリドマイドを忘れてしまった水に会う

少女が父をうらんで放送部員になる日まで

それで自分の句集をつくるときも、帯を正岡さんの句で飾りたくて、本人のOKをもらうところまではいったものの、周囲に「自分の句集の帯に他人の俳句をのせるなんてわけがわからない!」と諭されて、ああ、そうなのか、と思ったことがありました。ちなみにこんな句です。

その朝も虹とハモンド・オルガンで  正岡豊

おいしいコーヒーと、遥かなる〈世界文学〉の香りとが混じりあう一句。

2018-08-24

紙の楽器、紙の偶景






≫≫ 1.蝶の詞華集(
≫≫ 2.ささやかな休息(


この夏、佐藤りえさんからいただいた、小さな紙のアコーディオン。ぺパニカといって、ふつうは自分で組み立てて遊ぶキットらしいのですけど、ご本人が試しに組み立ててみたところ、小津につくれるか不安になったそうで完成品をくださいました。よくご理解いただき、まことかたじけないです。Gという白い文字が見えるでしょうか? これ「ソ」の音が鳴るんですよ。

そんなりえさんの連載「造本の旅人」があいかわらず手が込んでいて、第8回はロラン・バルト『偶景(Incidents)』を〈ほぼ全ページ本文紙が違う本〉として仕立てています。こちらには制作ノートも。


記憶の中の風景へと、ゆっくりとしずかに焦点を合わせてゆくような、少しはりつめた佇まいは、ちょっとご本人の短歌にも似ています。この人の作品って、しばしば記憶の表面に紗がかかっているんですよね  濡れたガラスに遮られたり、雨の音に紛れたり、といった気配の。あるいはその水の気配は、そのまま涙なのかもしれません。

2018-08-23

大垣の女性漢詩人たち 3









8月23日(木)の日経新聞夕刊文化面にて「読書日記」の連載が始まりました。書評ではなく、身辺雑記×現在手に入る本によるエッセイ欄です。

それから、もうすぐ『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』の2刷が出まして、帯文が松岡正剛氏になるそうです。松岡さんと言えば、周囲にいる幾人かのファンから「どんな人だった?」と聞かれたのですけれど、ジェントルとしかいいようのない方でした。すごく当たりが柔らかで。あと、歩くときのうしろすがたが、力が抜けてみえます。ふわりとして、月の上の人っぽいかも。




* * *

今回の旅についてもう書くことはないのだけれど、記念館を楽しんだあと、その横を流れている大垣船町川湊を歩いたのでその写真を。ここは『奥の細道』の旅を大垣で終えた芭蕉が〈蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ〉と詠んで、桑名へと下った場所なのだそう。しっとりと雨が降っていて、いい感じでした。

2018-08-20

大垣の女性漢詩人たち 2





大垣の記念館にはとうぜん江馬家にまつわるのものが多い。江馬細香が5歳のときに描いた竹と雀(かわいい)もちょうど見られた。なかでも気に入ったのが、頼山陽が細香に送った下の書簡。


この書簡は、長崎の出島を訪れていた清の文人・江芸閣に細香が出す手紙の書式を、山陽がヴィジュアル的に示してあげたもの。まず冒頭を竹石図で飾り、続く - - - - - に漢詩を置く。そのあと「江芸閣先生に詩を贈ります」うんぬんと書いて、署名の横には2つの落款印、と大変こまやかに図解されている。後半には「画は繊筆、書も細字、書簡の幅は一尺ちょっとの小巻にすること。あなたの名(裊)と字(緑玉)は竹にちなむものばかりで面白みに欠けるので、名を嬝々とし、また号の細香を字としても使用すること」などの助言が記されている。

それにしても山陽の筆跡。色気があって、悪くない。

かつてわたしは、山陽が〈女性らしい〉詩を書くよう細香を指導していたことが無念で、彼に対してステレオタイプな不満を抱いたりもしたのだけれど、こうやって書簡の実物をあれこれ目にすると、おのれの気質を曲げてでもこの人に指導されたかった細香の気持ちがわかるし、またこの〈相手に降伏する心の動き〉に恋愛の妙味があるのも疑いようのないところ。専門家の語るのとは別の意味で、細香にとっての詩作は画作とまるきり異なり、きわめてプライベートな営みだったのだろう。

2018-08-18

大垣の女性漢詩人たち 1





某日。岐阜県の大垣市まで車で遠出し「奥の細道むすびの地記念館」で梁川紅蘭の企画展をながめる。

紅蘭は原采蘋や江馬細香とならぶ江戸期の女性漢詩人。さいきん日本にいた折、数人の方から「小津さんは紅蘭をどう思いますか?」とじかに質問され、そのつど采蘋や細香よりはいくぶん幸福な人生だと思うと答えていたのだけれど、幸福といっても19歳から夫・梁川星巌に付き従って諸国を放浪し、安政の大獄ではコレラで亡くなった星巌の代わりに投獄され、5ヶ月以上黙秘をつらぬいてふたたび娑婆に出てきたという彼女の人生は少しもあんのんとは言えない。それでもわたしが彼女を「幸福」と思うのは、采蘋や細香のように父の命に束縛された人生を送らなかったという点と、ペダンティック愛好とクラシック愛好といった相反する嗜好がその詩画に並存している点とに、彼女の精神が「自由」でありえた痕跡を見るからだ。

そんな話を義理の母としていたら、展示室にいた監視員の女性がわざわざ学芸員を呼んで来てくださる。学芸員は上嶋さんといって、俳句文化振興の仕事もなさっている方だった。紅蘭の画風の変遷についてあれこれご説明いただき、ほんのちょっと身の上を話して、紅蘭研究の資料と拙著とを交換するといったわらしべ的幸運にあずかる。

この企画、素敵な画とたくさん出会えたのもよかった。世間では画といえば細香だけれど、わたしは紅蘭の方がずっと好き。絵画を愛する人ならば馳せ参じてでも観るべし、の品揃えでした。

2018-08-11

花とイヌイット。





雨の朝。庭を見るとズッキーニの花が咲いてしまっている。これ、むしって食べていいの?と聞いてみたらダメと言われた。この家の住人は花を食べない。おいしいのに。

* * *

イヌイット・アート展を見にゆく。布絵については名著『イヌイットの壁かけ』に収録された作品がほとんどあって感動。立体作品も丸みがあって面白かった。

2018-08-10

習作と野の花





今朝から実家。和室にゆくと『カモメの日の読書』で触れた、母の描いた40年前の習作が置いてあった。

* * *

日曜日、東京で出演した二つのイベントの話を週末俳句に書いて、そこにイシス編集学校に贈っていただいた花の写真を載せた。そのあと送り主に連絡してお礼を申し上げた折、いろんなことを教えてもらう。

あの花籠のテーマは「野趣」。使用花材はフトイ、ススキ、黒ホオズキ、ワレモコウ、鬼百合、旗竿桔梗、シュロソウ、姫ひまわり、ベルテッセン、シキンカラマツ、金水引、半夏生、ドウダンツツジ。お花屋さんは数あれど、野の花だけを扱う店というのはとても珍しいそうだ。