2017-01-30

生き急ぐことの悲しみ



他人の句集を読むと、すばらしい発見がたくさんあって、それが自分の作品を図らずもどんどん上達させてしまうわけだが、わたしは俳句と出会ったことが本当に嬉しく、そのささやかな秘密をなるべく自力で突き止めたいし、ややこしい部分ともできるだけ時間をかけて戯れたいので、句集をつぎつぎ買うというふるまいを今はまだしないようにしている。

いま家にあるのは、人から頂いた句集が20冊と少し。そして自分で買った日本語の句集が5冊である。

わたしは生き急ぐような書き方には耐えられない。

早足は悲しい。あてもなく、きままに歩くたびに出くわす発見を、ときに愉しくまたときに辛い体験を、そんな〈いまここの充実〉をできるかぎり引き伸ばしていたい。予期せず出会ったこの形式に、なるべく長い間、まだなにも知らない心もちで触れていたい。


だから、このような意識がまったくわからない。手引書が必読? なぜ時をせかし、道をいそぐ必要があるのか?

わたしにとってハウツー本を読みながら俳句を書くというのは、解答のページを覗き見しながら問題を解くのに等しい。

わたしは手元にある数少ない句集を、なぜかこの手に届けられたことの不思議を感じながら、なんどもなんどもなんどもなんども繰り返し読むのが好きだ。