2019-10-22

クリシェをくじく




竹井紫乙『菫橋』。前作『白百合亭日常』には柳本々々さんの「ゆらゆらの王国 ━あとがきは、ない。━」という長文がついていた。今回は前半が川柳で、後半が柳本さんとの対話になっている。

おでこからアンモナイトを出すところ
手触りはどうでしたかと蛸が訊く
おいなりをふんわり運ぶ催眠術
評価とか要らんし京都タワーだし
こんにちはぽろぽろ。さよならぽろぽろ。
(すべて竹井紫乙『菫橋』より)

紫乙さんの句集はいつも裏側が重い。濡れたコートのような疲労感があって、じんわりと人生を感じさせるのだ。ところが抜き書きして眺めると、その重さが少しも剥き出しになっていないことに気づく。こういった身のこなし(身のこなしとはつまり技術のことです)から考えさせられることはいろいろある。

例えば言葉というのは気を抜くと重くなる。また核心が表面に出てしまったりもする。たぶん人には世界と向き合ったときに思わず言葉をドーピングしてしまう弱さ(この弱さは様々の事情に由来する)があって、それでそんなことが起こるのだろう。核心は表面に出てしまうと、批評におけるクリシェさながら使い回され、その調子の良さゆえに権力の様相をすら帯びはじめるけれど、上に引いたような川柳にはそういったクリシェ的なものをくじく力がある、と思った。