2019-11-14

リクビダートル、あるいは別れを告げる日の丘へ



須藤岳史さんとの往復書簡「LETTERS」、最終回から1ヶ月でまさかの連載再開です。第13回は「日曜日の午後に軽い手紙を書こうとする試み」。秋の散策路、古い手紙、王様の耳はロバの耳、ラジオの夜、誤配送された手紙、一人の幅、私淑の系譜、日曜日の午後の軽い手紙を期待するということ、などなど。上はこちら、下はこちらからどうぞ。

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佐藤りえ「リクビダートル」はチェルノブイリ事故のリクビダートルをテーマとした30句連作。持ち重りのする主題のときは、固有名詞は多くしたほうが連作の旨味がはっきりしてよいですが、この作品もまた詞書まで駆使して固有名詞をたっぷり使っているのが面白い。

ぼた餅もて別れを告げる日(プロヴォーディ)の丘へ
放射性廃棄物容器(キャニスター)込めばやオンカロの凍穴に
栗鼠かち割る木の実デーモンズコアならめ

現実にべったりと即きすぎて虚構性(作品としての自律性)が弱くなったり、あるいは逆に凡庸な観念の塔を建立したりといった、政治を扱うときに俳句が陥りがちな穴をうまく回避している、との印象を受けます。

ここから余談。観念の塔の最大の弱点といえばおおむねどれも似ているってことですけど、これ、もちろん箴言性や肉体性を有した観念を書ける人は別です。いますよね、たまにそういう人が。いつだったか知り合いが「岡井隆は観念の塔の名人で、塚本との最大の違いはそこかなと思うわ」と言ったことがあって、その時はなるほど!と唸りました。

2019-11-13

サンフランシスコの都々逸





泰山木の実がとんだ可愛い冬服を着ていました。首のところの赤い点々がえりまきみたいでおしゃれ。

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昨日の続き。サンフランシスコの日系雑誌「桑港文庫」を読んでみたら、都々逸がすごく盛んでした。

胸の曇りを察せぬ月が晴れて涙の身をてらす
惣亭藝升

積る思ひの雪踏み分けて解ける心で来たわたし
渓鶯粹史

「桑港文庫」第二篇(1900年)より。粋筋の都々逸です。ご当地性があればもっといいかも。せっかくサンフランシスコに住んでいるのだから霧がらみとか。他にもいろいろありましたので、2つほど画像で紹介します。

2019-11-11

ハワイの都々逸





昨日の日記を書いたあとで「あっ」と気づいたのですが、私、戦前の「日布時事」文芸欄を整理していたころに、都々逸の投稿欄も一応メモしておいたんですよ。俳句短歌に比べると圧倒的につまらない作品が多く「うーん。どうしてこんなに差があるのか」と思いつつ。すっかり忘れてました。時折、ほんのりマイタイの香りがする作品が混じっていて、そんなのを見つけたときは嬉しかった。

椰子の葉蔭にうたたねすれば雪の門松夢に見る
わたしゃシュガケン焼かれて切られ絞り上げられ白砂糖
待てど会はれぬ妾(わたし)の胸を渡してやりたい夜の虹

シュガケンはサトウキビ(sugarcane)のこと。どうでもいい話ですが、マイタイと聞くと私は東京するめクラブの『地球のはぐれ方』が読みたくなります。

2019-11-09

町中に風呂が





土曜日の読書「町中に風呂が」更新。引用はドミニック・ラティ『お風呂の歴史』より。高遠弘美氏の訳が読みやすかったです。変な喩えですけど、天気の良い日の野鳥観察みたいに文章の見晴らしがよくて、日本語がくっきりしてる。思わずアマゾンに他の訳書を探しに行ったら、なんとプルースト『失われた時を求めて』を翻訳中ではないですか。読んでみたいかも。

『お風呂の歴史』については、本文に引用したのと同じあたりに、当時のおすすめ入浴法のこんな記述もあって、どこの住人もお風呂好きのやっていることは同じだなと思います。

十三世紀の医師アルノー・ド・ヴィルヌーヴは、若さを保つために、四月と五月には、週に三回入浴することを勧めている。湯は透明でぬるめ。そこに、植物(ローズマリーや接骨木やカモミールや品川萩)や花(赤い薔薇や睡蓮)や各種の根を煎じたものを入れ、一週間で新しくする。浸身浴は空腹時がよく、最低一時間は続ける。終わったら煎じ茶を飲み、休む。

2019-11-07

言葉遊びの川柳




川柳スープレックス「喫茶江戸川柳 其ノ捌」更新。今回は言葉遊びのメニューで、当て字の句、マニエリスティックな句、寄席芸人っぽい句、 空耳アワーな句、 早押しクイズの句など、なかなかヴァラエティ豊かでした。

マスターの話に登場する〈たらちねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごもり)いぶせくもあるか妹に逢はずして〉という万葉集の歌も面白いですね。あれだけ言葉遊びを盛り込むというのは、作者が和歌というものの虚構性を自覚しているからこそで、戯作性の強さにも感心しますし、なにより読者が読み方を「発見」するまで全く意味わからないという攻めの姿勢がよいです。



大雨の翌朝。海岸を見ると、砂浜に誰もいなかったので、


ちょっと海に入ってみる。


あわあわ。


海を眺めるカモメたち。


海を眺めるヒトたち。

2019-11-03

中国古代建築を覗く




以前、東京新聞のコラムに「住まいと庭に関する資料を漁るうちに、漢詩を読むようになった」と書いたことがあるのですが、建物に関する中国語を知るのは難しく、だいたい絵がついていないのでぼんやりとしかわからないんです。それで妹尾河童の本みたいにわくわく覗ける図解はないかしら……と思っていたころ見つけたのがレミ・タンの『中国古代の建物』。建物について技術面からまとめてあり、図鑑が好きな人向き。かれこれ15年くらい眺めています。以下は屋根にかんするパートより。


全体の図解。


960年から1234年当時の瓦および組物装飾の例。


瓦の装飾。


屋根の装飾。


写真もそこそこ載っています。

この本が漢詩を読むのに直接役立つということはないのですけれど、「漢詩の入り口はいろいろあるよ」の一例として、ふと思いついたので書いてみました。

2019-11-02

風土を感じさせる人々





土曜日の読書「風土を感じさせる人々」更新。引用は久生十蘭『ノンシャラン道中記』より。フランソワ・ラブレーを思い出させる面白い小説でした。

コート・ダジュールの「声かけの習慣」については書くと長くなる話がいくつかあって、なかでも衝撃だったのが「大学、もしくは中学の教員になりませんか」という勧誘です。突然知らない人から声をかけられて、思わず「えっ」とたじろいだのですが本当の話でした。それであらためて詳しい事情や授業内容について伺って、家人にも相談したんですよ。家人の判断は「好きにしたら?」。結局、すごく大変そうなので断ったのですが。

そのあとしばらくして引っ越した北ノルマンディーはキャッチもいない静かな街で、人と人との距離も遠かった(悪い意味ではなく、単に節度があるという意味)。やはり風土ってあるなあと思います。私は内気なのでぐいぐい話しかけてくる南方人の方がつきあいやすいです。

2019-11-01

空のひづみ、影のさしがね




先日、綺麗な飴色の葉っぱを見つけた。やったね!と持ち帰り、水洗いして、ヒーターの上に置き、翌日見たら、葉っぱの真ん中に、まるい染みが浮かんでいて泣いた。写真は葉っぱとはなんのゆかりもない石鹸屋。

以前、LETTERS第9回で江戸時代の俳諧・川柳にみる世界という語の使われ方について書いたのですが、感覚と世界との距離感をコスモロジックに詠んだ作品に、

この空にひづみ有りやと月と日の影のさしかね只あてゝ見ん  沢辺義周

という狂歌があって「空のひづみ」と「影のさしがね」がうまいなと思います。ロビン・ギル『古狂歌 ご笑納ください:万葉集まで首狩に行ってきました』によると1808年以前の作らしいです。化学の知見に依拠した詩的把握の例として引用したかったのですけれど、もとの出典を確認することができず(海外暮らしの弱点)断念。でも好きなので、ここにメモ。