2023-09-20

毎朝うろこ雲を見上げている





とうとう夏が終わってしまい、悲しくてしかたがない。時間が巻き戻せないかなって思ってしまう。

「時間を巻き戻す」というのもそうだけど、さいきん、生きてきて、自分の内側から初めて湧き上がってきた言葉というのがいくつかある。たとえば「神」という言葉。ちょっとまえ、ふと「どうして神様は人間を草食動物としてつくらなかったんだろう…!」と思い、思うやいなや自分の発想にたじろいだ。いったいどうしたのだろう。

先週から夫が出張で全州に出かけていて、写真がばんばん送られてくる。上もその一枚。街の風景は京都を連想させる。またハングルがおしゃれ。モダンデザイン的で。モダンすぎて宇宙語っぽく見えることすらある。

宇宙といえば、現在発売中の『すばる』に「ジャズ・フェスティバルと星」と題したエッセイが載っています。トリッピーかつスプーキーな演出を愛するハービー・ハンコックが舞台上の音という音をキッチュな天文現象に変えてしまったこの夏のジャズ・フェスティバルの話から、国立天文台ハワイ観測所の台長だった海部宣男の著書『天文歳時記』へと移行して、とても素敵なハワイの叙事詩に触れました。

2023-09-10

あんペーストのおいしい召し上がり方





土曜日、日本から来た知人と遊ぶ。

朝10時にマセナ広場で待ち合わせ、広場を抜けて海へ出る。海を眺めた後は城跡のある丘に登る。高い丘から見下ろすと、日曜日に開催されるアイアンマン世界選手権の練習をしている選手たちが、サメから逃げているのかと思うくらいのスピードで泳ぎの仕上げをしていた。

昼食後は旧市街で三つの教会と、現在楽器博物館になっているラスカリ宮を巡る。ラスカリ宮で見知らぬ男性に声をかけられる。相手は作曲家で、日本で仕事したときの写真を見せてくれる。そのあとニース近現代美術館で常設展とThu-Van TranのNOUS VIVONS DANS L’ÉCLAT(我々は閃光の中に生きている)を鑑賞。丁寧な思索が感じられる仕事だった。

日曜日の朝はコーヒーと、知人からの手土産であるとらやのあんペーストをパンに塗って食べる。箱の中に入っていた「あんペーストのおいしい召し上がり方」という紙が、ちょうど小さな名刺くらいの大きさで、写真のレイアウトが可愛らいので、しおりにすることにする。夫は隣町の方角へジョギングしに行った。わたしは今から某俳誌の原稿を書く。

季刊アンソロジスト第6号発売されています。連載中の「存在のためのふわふわした組曲」、今回の掌編タイトルは「夜を知る」です。

2023-09-04

小津夜景第二句集『花と夜盗』刊行記念連句「桑の花の巻」



新刊のタイトルが決まらなくて右往左往していたのが、今朝ついに決まって一息ついているところ。この間、いろいろありました。一番大きいのがもうすぐ夏が終わるってことでしょうか。悲しい。

先日、四ヶ月かけて巻いた連句が完成しました。額装は羊我堂さん。素敵なレストランの敷紙みたいな画像で、盛り付けた句がおいしそう。ロクシタンのパッケージっぽくもあります。いま読み直して、今回の初折表六句は、ぐっと円陣を組んでるみたいな手堅さがあるなと思いました。季何さんの「巨帯都市(メガロポリス)のあかりみせばや」の、外連味たっぷりの擬古調のおかげでしょうか。また今回は連衆が多く、多彩なアイデアのひしめいている雰囲気も気に入っています。

2023-08-21

音楽千夜一夜とプリンキピア一般的注解(抄)





週刊俳句第852号の音楽千夜一夜にゲストで参加しています。紹介したのはエミール・ロンドニアンの「Missing Arrow」。さいきん知ったばかりのトリオです。PVの映像はストラスブールの街角。

それはそうと先日、原稿の整理をしていたら奇妙な詩が出てきたんですよ。ニュートン『プリンキピア』の「一般的注解」の翻案詞。いったい何を考えてこんなもの書いたんでしょうか。あまりにもアホらしいので載せちゃいます。長編詩なので一部だけ。恥ずかしくなったら消すかも。

プリンキピア一般的注解(抄)

延長は神のダンスフロア
持続は神のジャムセッション
主はここに そしてどこにもいる
なんだって経験してる そんなスタンス

変わらぬパワーで全域をカバー
スペース&タイムを超えてくフロウ
空間の隅にも、至高のプレゼンス
刹那の時さえ、不変のエレガンス

物体もメンバー入り でも神からの影響はゼロ
神は何も痛くない 物体も神の存在にビビらない
超アクション 超リラックス そうさ神はバリアフリー 
ぶっちぎり最強のスーパースター


2023-08-15

今日はこんなふうに読もう





告知が遅れてしまいましたが、女性誌『Precious』9月号のファッション大特集「愛すべきシャツに出会って秋が始まる」にエッセイを寄稿しています。俳人ならではの視点で、とのことだったので、その切り口からジョージア・オキーフを語ってみました。あと『すばる』連載中の空耳放浪記もあいかわらず続いております。今月号は、ハリネズミ師匠の指導の下、助動詞づかいの訓練をした話をお届けしております。

それはそうとですね、本を読んでいると、つくづく「わたしは遅読派だなあ」と思うんですよ。文章というのはリズムだから、理解するためにはテンポを外さず、それに乗っかっていく方が、ゆっくり読むよりも内容がつかまえやすいという話はたしか前にも書いたことがありますが、にもかかわらずゆっくり読むのは、言葉の並びや息づかいなんかを、好きな曲の数小節をリピートして聴くみたいに楽しみたいからなんですよね。つまり読書の醍醐味を、読み直すことに見出しているわけです。昨日はあんなふうに読んだから、今日はこんなふうに読もう。そうやって、読み方を、日によって変えてみる。スカーフの巻き方を、日によって変えるみたいに。

2023-08-08

ガロンヌ川と雲





ひさしぶりのトゥールーズ。ガロンヌ川を撮る。こんな大きな川だったんだな。小舟は兄弟なのだろうか。雲もわらわら集まって、みんなでどこかへ出かけるようだ。


こっちの写真は京都鴨川風味がある。丸いドームが東華菜館。で、細長いのが四条大橋なの。やはり雲は、みんなでどこかへ行くようだ。

2023-07-30

真夏の夜の月





風流を解する年ごろになると、最初は花や木にハマる。いままで普通に見ていた身近な植物が、なんだかすごく魅力的に感じられたり、庭に咲くものや店の鉢植えなどに、季節のうつろいを感じたりするようになるのだ。

花にハマったあとは、鳥のワールドに突入する。通勤中や散歩中に見かけるセキレイやハト、カササギといった身近な鳥にぐっときたり、ツバメが巣作りするの見てきゅんとしたり。そういうもんらしい。

鳥のつぎは風にダイブだ。風にも四季がある。春の東風、青葉を散らす青嵐。ジメジメとした梅雨のネンネンとした風、夏の南風、秋の野分、晩秋から初冬にかけての木枯らし、それにちょいとメロディアスな風とか、パン屋の匂いの風とか、いろんなムードを味わい分けるようになる。

そんで最後は月である。月は、寝たきりでも、窓越しにじっくり楽しむことができてよろしい。満ち欠けや、微妙な月の色の変化、それから模様なんかをしみじみとながめては、ああ、最高だ、なんて思うようになれば、十二分に仕上がっている。

花、鳥、風、月と移行するにつれて、有情とおさらばして、無情の世界に近づく。人は、時が深まるにつれて、非人間的なものへと愛情の対象を移していく。月は無情だ。そこにおいて風流はついに風狂と成る。

李白は月を見上げ、自分の影を誘い、月影己の三者で酒杯を交わした。それは自分の中の死と語り合うことでもあったろう。わたしには遠い世界。夜に自分の影を見ると、まだまだ不思議な感じがする。

2023-07-21

Nice Jazz Festival その2



20日の朝は原稿、昼は病院、夜はジャズ・フェスティバル。今夜のお目当てはハービー・ハンコック。

前日同様、夜8時すぎに会場に入り、Jalen NgondaとEzra Collectiveを聴く。で、夜11時、待ちに待った開演。感想をひとことで言えばアクション・サウンド・ペインティング。飛び散る音のしずくの、その減衰のさまがいちいち魅力的。テレンス・ブランチャードのトランペットも良かったけれど、面白かったのはジェームス・ジナスのベースソロ。ループ・ペダルで即興音を少しずつ重ね、ついには深遠なソロ・ジャムセッション(!)を織り上げ、まるで宇宙に漂うさまざまな星の運動を耳で聴いているみたいだった。終演後、ジェラート屋に寄ってレモンシャーベットを食べ、深夜1時半に帰宅。