編集人・江田浩司、副編集人・生沼義朗の文芸誌「扉のない鍵」。
今後の展開が楽しみなのは江田浩司「石井辰彦論へ至るための序章」。石井の短歌は一冊にまとまった研究書があっても不思議じゃないですよね。テキストとしての完成度からしても、実は研究対象として扱いやすいはず。
例えば、今てきとうに思いついたことを書きますと、エイズ・クライシスの文脈を明確に反映した『バスハウス』を中心に据え、『バスハウス』以前と以後との主題と文体(価値の表出の仕方)の変移を比較してみる、なんてアイデアはどうでしょう?
『バスハウス』はバロック的な美や高貴と、その種の価値に付帯する反動性とを併せ持った作品集です。もちろんそれは確信犯としての反動であって、石井は『バスハウス』の連作が孕む審美主義的通俗性(汚辱を美へと変貌させる類の価値転倒)といった弱点を、あたかも晩年のロバート・メイプルソープのように作品の質を極限まで高めてゆくことで正面突破(=無効化)しようとします。
この正面突破にあたり繰り出される種々の技は、石井の作品を読む醍醐味のひとつ。とはいえわたし自身はそうした技が、より自由自在な遊び心ないし傷つきやすさにおいて花開いた小品がより好みで、例えば「We Two Boys Together Clinging」や「犬二匹ま」などが、実はこの作者の飾らない呼吸なのではないかしら、などと想像したりも。
閑話休題。「扉のない鍵」の玲はる名「鍵」から4首。
潮風がノイズばかりを拾ふからアンリ・ラ・フォンテーヌの屑籠へ
指といふ鍵を世界に可視化せよ 蜂の巣といふ鍵穴深く
向日葵の種、一斉に胸に湧き弾け朽ちたる肉片の道
経典(うつは)ごとレンジへ入れて電磁波が鞭打つ床を這うガブリエル
特に最後の歌。こんな壮絶で滑稽で救いのない鞭打ちのイメージを思いつくなんて、すごいなあと思いました。