2018-09-03

はじめての狂詩





先週の日経「読書日記」はブローティガン『西瓜糖の日々』のことを書きました()。

ところでこの連載、依頼のとき「現在手に入る本ですよ」と言われたのですけど、思いつく本がどれもこれも絶版で驚いています。ゲーテ『ヘルマンとドロテーア』、メーテルランク『ペレアスとメリザンド』、スターン『トリストラム・シャンディ』、ベケット『伴侶』と、どれもない。それなら日本の小説をと思い北杜夫『少年』を調べると、これも絶版。目の前が暗くなりました。ひょっとして遠藤周作も?と思い、おそるおそる調べたら、彼はぜんぜん大丈夫だった。

遠藤周作といえば、自分がはじめて知った漢詩は、彼の本に出ていた大田南畝の狂詩でした。狐狸庵ものを記憶している方は「あれか!」と笑うでしょうが、あれです。だから、漢詩とのなれそめを人からきかれても、口ずさめない。

屁臭(へくさい) 大田南畝

一夕飲燗曝(いっせき かんざましをのみて)
便為腹張客(すなわち はらばりのきゃくとなる)
不知透屁音(しらず すかしっぺのおと)
但有遺矢跡(ただ うんこのあとあり)

元ネタはこちら。

鹿柴(ろくさい) 裴迪

日夕見寒山(にっせき かんざんをみて)
便為独往客(すなわち どくおうのきゃくとなる)
不知松林事(しらず しょうりんのこと)
但有麏麚跡(ただ きんかのあとあり)

ちなみに大田南畝は、実はあまり狂詩精神がないって言われてます。この人って、おおむね筆が上品で、爆笑っぽいものは書かないんですよ。あと狂詩というのは腰をすえて読み出すと、変な遊郭ネタが多すぎてうんざりするんですけど、そっちの方へも行かないし。『カモメの日の読書』では一章を割いて、この人のかわいい狂詩と狂歌をいくつか紹介しています。