2018-09-16

ピアスと墓穴





自分がいつどこでピアスの穴を開けたのかって、わりとみんな、しっかり覚えているような気がします。わたしは高校生のとき、母がピアスの穴をあけたかったらしく、でも一人で病院に行くのは怖いからとわたしを誘ってきたんです。施術代も(当然)出してくれてラッキーでした。

またひとつピアスの穴をやがて聞くミック・ジャガーの訃報のために
松野志保

この歌には、さりげなく省略されている部分が二つある。ひとつは「耳」という名詞そのものである。そもそもピアスは耳たぶに開けるものとは限らないのだけれど、音楽、訃報と二重に「聞く」ことの話をしているこの歌についてはやはり耳のピアスを想像していいのではないか。それから、「ピアスの穴を」のつづきが省略されて言いさしになっている。穴を「どうするのか」が書かれていない。そして、これらの省略はただ限られた文字数のなかで表現を洗練させたというだけではなく、省略されていることにそれぞれ意味があるように思う。

砂子屋書房の「日々のクオリア」より(鑑賞は平岡直子さん)。ありふれた空気を纏いつつも、実は技術的に大変よく練られた作品。うーん、と感じ入りました。しかも鑑賞が、これまた緻密でいいんですよ。全文がこちら()で読めます。

この「日々のクオリア」は言葉がいつも丁寧で、参考になることが多いです。わたしも短歌を取り上げてもらったことがありました。そのときの執筆者は佐藤弓生さん。鑑賞はこちら()。