2021-07-22

世界のめくるめく片隅





朝から床の張替えの下調べをする。いまの床は大理石なのだけれど、新しい住居はタイルにする予定で、見本の質感をチェックしているのだ。いまのところ手頃な値段のものは見つからず。

頬杖をつく私のまえには、こちらに背を向けた家人がいる。何かの立体模型をもくもくと作成しているようだ。どうしようかしら。とりあえず一息つこう。

台所に行き、ミントとバジルの葉、ターメリック、ジンジャーを合わせたハーブティーをガラスのポットで淹れる。フィナンシェがあったので、それをおやつにしつつ、池澤夏樹『「メランコリア」とその他の詩』(書肆山田)をひらく。「メランコリア」はイラストレーターの阿部真理子との共著(同タイトル、光琳社出版)から文字のみを再録したもので、内容はアンナという名の女を探す「私」の魂の漂流を綴った連作詩になっている。昔、光琳社出版のそれを見たときはポップな小説風に感じられたのに、今回文字だけを読むとシュルレアリスムの香りが濃くて、詩は供し方で味わいが変わるとつくづく思う。いっぽう変わらない部分もあった。マルチカルチャーな体臭だ。ひとつひとつの言葉が明快で、風景がくっきりと浮かび、それでいて現実感を欠く世界の、めくるめく片隅。知性に働きかけてくるアンナの白昼夢に「私」が途方に暮れるさまが魅力的だった。

4 砂時計  池澤夏樹

その古道具屋は私に
さまざまな品を見せた
探しているようなものはなかったから
私は何も買わなかった
最後に彼は店の奥から
秘蔵の品と称するものを持ってきた
古い小さな砂時計一つ
彼はしばらく黙って見ていてくれと言うと
それをひっくり返して、行ってしまった
十五分たっても砂は絶えなかった
上の砂も下の砂も量が変わらなかった
私はこの
時を計ることのできない
永久砂時計を買った


三日後
私は誰もいない砂漠にそれを捨てた
永久にアンナを探し当てられないことの
象徴のように思われはじめたから


「その他の詩」は2歳の時の詩(父・福永武彦による記録!)、九州日報に掲載された福永武彦6歳の詩、子供たちに贈った詩、原田知世のアルバムに寄せた歌詞、漢詩の翻訳など。見事に雑めくラインナップで、抽斗の中を見せてもらった気分になります。