2021-07-03

過ぎゆく刻の潮騒





小説や楽曲の面白さというのはストーリーやメロディーといった単体の要素で説明できるものではなく、むしろ素材の厚みとか重なり方とか、論理のこんがらがり方とか、声や息つぎの癖とか、さまざまな質感および量感の即興的現前に立ち会うところにあると思う。小説ならばそれを読んでいる時間の中で、音楽ならばそれを聴いている時間の中で、作品が今まさに生まれてくる状況を体験することがひとつの醍醐味なのだ。

遊佐未森『潮騒』を聴く。遊佐未森さんは初期からずっと物語性を素地とした作品をつくっていて、今回もその感性は健在だったのだけれど、それ以上に私がありありと感じたのが「わたしはいま音楽を聴いているのではなく、刻一刻と過ぎ去ってゆく〈時〉を聴いている」といった新鮮な驚きだ。まるでこちこちと時を刻みつづける時計が豊かな翳りを湛えつつ、作品の中心で静かに鳴っているかのような世界。『潮騒』は物語的ないし音楽的な愉しさはもとより、過ぎゆく時間そのものを表現した作品集だった。

過ぎゆく時間を現前させるしかけは、楽器の音づくりにもまして遊佐未森さんの声と歌唱法に隠されている。よく太極拳では套路をするときに「繭の中から一本の糸を、切れないように細心の注意を払いながら、どこまでもすぅーーーっと引っ張り出してゆくイメージで息をし、また指先の意識を整えなさい」と言われるのだけれど、さながら『潮騒』ではそんな歌唱法がきわまって、声の持続のなかに時間のうつろいが生じていた。うつろいといっても無常観のごとき「意味的」なそれでは勿論なく、時間の真綿をすっと一本の絹糸に変えるみたいに純粋な時間そのものを生成している、ということ。特に前半、静かな緊張をはらんだ声と時間との対話が感じられる。

作品にただよう仄暗さも良かった(きれいな声のせいで一見そうと気づかせないところも面白い)。外間隆史さんと遊佐未森さんって、やはり相性がいいと思う。