秋の空は高い。ひさしぶりに午前中からベランダのテーブルでコーヒーを淹れて飲んだ。
さいきん或るネガティブな感情を主題とした文章の依頼がありまして、今日はそれを書いていたんですが、書けば書くほど自分がネガティブ思考にまるで縁がないことがわかって、うすうす気づいてはいたもののまさかここまでとはと驚愕しました。
「ほんとに?あなたよく悲しみについてあれこれ書いてるじゃないの」と思う方もいるかもしれません。が、それはいつもわたしが途中で書くのをやめているから、その文章が悲しみについてのそれに見えるのであって、心の中には常にポジティブな続きが実はあるのです。
たとえば季節の移り変わり。これを嘆き悲しむ習性が人にはある。もちろんわたしにも。ところがたとえ無常観を感じたとしても、すぐさま生来の疑う心が「むしろ次のように考えるべきではないか?」とわたしを促すのです。
失われた世界の代わりに訪れるもの、それは生まれたての新しい世界だ。新しい季節を生きること。新しい時間を生きること。どうしてわたしはそれに喜びを見出そうとしないのか。背後の影が深く濃くなればなるほど、目の前の扉が眩しく輝く現実を見ようとしないのか。始まりは日々訪れる。この世界には始まりしかない。微笑みの扉しか。
さいきん或るネガティブな感情を主題とした文章の依頼がありまして、今日はそれを書いていたんですが、書けば書くほど自分がネガティブ思考にまるで縁がないことがわかって、うすうす気づいてはいたもののまさかここまでとはと驚愕しました。
「ほんとに?あなたよく悲しみについてあれこれ書いてるじゃないの」と思う方もいるかもしれません。が、それはいつもわたしが途中で書くのをやめているから、その文章が悲しみについてのそれに見えるのであって、心の中には常にポジティブな続きが実はあるのです。
たとえば季節の移り変わり。これを嘆き悲しむ習性が人にはある。もちろんわたしにも。ところがたとえ無常観を感じたとしても、すぐさま生来の疑う心が「むしろ次のように考えるべきではないか?」とわたしを促すのです。
失われた世界の代わりに訪れるもの、それは生まれたての新しい世界だ。新しい季節を生きること。新しい時間を生きること。どうしてわたしはそれに喜びを見出そうとしないのか。背後の影が深く濃くなればなるほど、目の前の扉が眩しく輝く現実を見ようとしないのか。始まりは日々訪れる。この世界には始まりしかない。微笑みの扉しか。