ニサール語はオック語の一方言で、耳で聞くとフランス語とは完全に別の言語。さらには綴りや文法も異なり、6枚のコースターに印刷されたニサール語を、左上から時計回りに訳すとこんな感じです(ニサール語=フランス語=日本の順)。
ニース人は少し変わっていて、アルザス人やブルターニュ人のような郷土への固執がないんですよ。特に国境に思い入れがない。フランス併合は1860年(それ以前はサルデーニャ王国)でもっとも遅い地域なのに。
オック語については、保護運動をしつつみずからもオック語で詩を書いたジャン=アンリ・ファーブルがいます。彼は「プロヴァンス語文芸復興の詩人」とも呼ばれており(プロヴァンス語もオック語の方言)、昆虫学・博物学・作曲活動などもあわせて考えると本当に多才な人だなあと思います。
もうひとつどうでもいいことを書くと、日本語のウィキに「ほとんどのフランス人はファーブルが何者であるかを知らない」とあるのですが、ニースには「ジャン=アンリ・ファーブル中学校」が存在するせいか、ぜんぜん無名な感じがしません。
・D'aqui d'aia = d'ici et de là = あちらこちら
・RaÏs dou paÏs = racine du pays = 郷土のルーツ
・Sian de Nissa = Nous sommes de Nice = 私たちはニース出身です。
・Sieu nissart = Je suis niçois = 私はニース人です。
・PaÏs nissart = Pays niçois = ニース郷
ニース人は少し変わっていて、アルザス人やブルターニュ人のような郷土への固執がないんですよ。特に国境に思い入れがない。フランス併合は1860年(それ以前はサルデーニャ王国)でもっとも遅い地域なのに。
オック語については、保護運動をしつつみずからもオック語で詩を書いたジャン=アンリ・ファーブルがいます。彼は「プロヴァンス語文芸復興の詩人」とも呼ばれており(プロヴァンス語もオック語の方言)、昆虫学・博物学・作曲活動などもあわせて考えると本当に多才な人だなあと思います。
もうひとつどうでもいいことを書くと、日本語のウィキに「ほとんどのフランス人はファーブルが何者であるかを知らない」とあるのですが、ニースには「ジャン=アンリ・ファーブル中学校」が存在するせいか、ぜんぜん無名な感じがしません。