2018-10-28

月に吃る





「吃り」というものを舞踏的に捉え直せば、世界との共振(レゾナンス)と見立てることができるでしょう。たとえば、下のような吃音歌は、光の当たる角度が変わると、どれも「命がけで突っ立った死体」(土方巽)のようではありませんか。

夢にのみききききききとききききとききききききと抱くとぞ見し
ー『古今和歌六帖・巻四』 歌番2174

も、も、ももを
も、もいでもらふ
も、もちろん も、問題ない
も、も、桃だもの
ー小池純代『雅族』

叱つ叱つしゅつしゅつしゆわはらむまでしゆわはろむ失語の人よしゅわひるなゆめ
ー岡井隆『神の仕事場』


人間の発音行為が全身によってなされずに、観念の喙(くちばし)によってひょいとなされるようになってからは、音楽も詩も、みなつまらぬものになっちゃった。音楽も詩も、そんなに仰山ありがたいものではない。/くしゃみとあくび、しゃっくりや嗤うことといったいどこがちがうのだろう?もし異なるとしたら、それはいくらかでも精神に関するということだけだろう。(武満徹「吃音宣言」)