武術のとき、海藻になる訓練というのを、かれこれ十年ほどやっています。
一人ですることも、二人ですることもあります。
相手がいる時は、一方がもう一方の身体にそっと触れ、触れられた側はその力に逆らわず、触れられた分だけ体を揺らします。ゆったりとくつろぎながら、相手のてのひらを、自分の身体の内に共鳴させるようにして。
それはそうと、人間って、忘れられない記憶でも、いつもしっかり覚えているわけじゃないですよね。心には満ち引きがあり、溢れることもあれば、干上がることもある。愛情もそう。波がある。大好きな人に対してさえも。
何事も、ことさら大切がらず、あるがままにしておくのがいい そっと手放すか、手放さないか、くらいの執着で。
一人ですることも、二人ですることもあります。
相手がいる時は、一方がもう一方の身体にそっと触れ、触れられた側はその力に逆らわず、触れられた分だけ体を揺らします。ゆったりとくつろぎながら、相手のてのひらを、自分の身体の内に共鳴させるようにして。
それはそうと、人間って、忘れられない記憶でも、いつもしっかり覚えているわけじゃないですよね。心には満ち引きがあり、溢れることもあれば、干上がることもある。愛情もそう。波がある。大好きな人に対してさえも。
何事も、ことさら大切がらず、あるがままにしておくのがいい
画かきが私は抽象であると名乗るのも、具象であると云うのもどうかと思う。
物指ではかっている言葉だ。
つかず離れずというが、そういうところに芸術の秘密があると思う。(中川一政「抽象と具象」)