近所を歩いていると、花が咲いているブーゲンビリアの鉢が並んでいた。
顔を寄せると、吐息のような気配がある。
素朴に、深遠に、花の香を嗅いだ。
技術とはそれを必要としない場で鍛錬し、実践の場においてはすべて忘れ去るがいい と書くとまるで武術みたいだけれど、同じく〈型〉を有する技芸、俳句においてもそれは一つの理想だ。
あるいは大野一雄が、舞踏から、心こまやかに〈型〉を取り去っていった時間を、想像しつつ。
言葉を、そっと差し向ける 明るい客体ではなく、いまだ輝いたことのない無数の黎明のために。いまだ息をひそめている存在のために。
顔を寄せると、吐息のような気配がある。
素朴に、深遠に、花の香を嗅いだ。
技術とはそれを必要としない場で鍛錬し、実践の場においてはすべて忘れ去るがいい
あるいは大野一雄が、舞踏から、心こまやかに〈型〉を取り去っていった時間を、想像しつつ。
言葉を、そっと差し向ける
何もかもご破算にして投げ出して。そこから立ち昇るものがあなたのものだ。考え出したのではなくて、立ち昇るものがあなたのものだ。細密画のように立ち昇るものを。追いかけることと立ち昇るものが一つでなければならない。立ち昇るものと追いかけることをして、立ち昇ったときにはあなたはすでに始めている。立ち昇るそのものがあなたの踊りだ。空はどうなっているんだい。立ち昇るものを受け入れろ。空はいったいどうなっているんだい。そして、自由にひろがっていく。手が足が、命が際限なく自由に立ち上がるときに手足は同時に行動している。あとじゃだめだ。(大野一雄『大野一雄 稽古の言葉』)