2016-12-18

ユーモアの外で(3) 一本の川と墓石



四ッ谷龍『夢想の大地におがたまの花が降る』における2番目の連作「大地の全表面」は、作者が散歩中にとりとめもなく考えた空想まじりの光景を描いている。

散歩者は繭になったり時計になったり  四ッ谷龍

その考えは春の地震にはじまり、グラジオラスのこと、一本の川のこと、枯野人や縄文人のことといった具合にこれといった脈絡なくつづく。なかでも一本の川をめぐる随想は伸びやかで自由闊達なロマン主義的情感をいっぱいに満たしていて心地よい。

君は一本の川だ春の音(おと)秋の音つらね  四ッ谷龍
君は一本の川だもう一つの川がある
君は一本の川だとても新しい流れ
君は一本の川だ崖ふかくしみとおる
君は一本の川だ子供時代を流れ
君は一本の川だ君自身を呑む流れ
君は一本の川だ亡き人もその一部

生命の讃歌。屈託のない筆遣い。と思いきや、読者は最後から2番目の連作「青山の墓」まで読み進んだとき、これらが決して単純な人間的精神の解放ではなかった事実を知ることになる。

君は墓石小田急線に乗り西へ   四ッ谷龍
君は墓石アイスマンゴージュース吸う
君は墓石殖えて殖えて町中が墓
君は墓石愛を知らない夏の石
君は墓石夜はゴトゴト笑う石
君は墓石元はさまよう星のかけら

連作「青山の墓」は配置的にも内容的にも「大地の全表面」と対をなしている(もしかすると「君は一本の川だ〈もう一つの川〉がある」という表現なども、この句集の対位法的性格を示唆しているのかもしれない)。この「君は一本の川」にあふれるロマン主義的情感が「君は墓石」と2声のフーガを形づくることで理知的な抑制を受けているといった特徴は、『夢想の大地におがたまの花が降る』が読者に与える〈ひっそりと閉じた感覚〉のひみつを解く鍵のひとつとなるだろう。

髯侯爵鍋をパンツとして穿きぬ  四ッ谷龍