2016-12-16

〈ユーモア〉の外で





四ッ谷龍『夢想の大地におがたまの花が降る』はことば遊びにあふれている。

そして、そこには〈ユーモア〉がない。

この句集に見られることばのたわむれは、おきざりにされた子どものはてしない一人遊びのようにさみしい。つんでは崩れ、つんでは崩れすることばを、いつまでも無言でつみ直しているようにさみしい。

花々や昆虫、化石、そして数学などさまざまな美しい光景を映しだすとき、それらの句は少しうれしそうにみえる。もっとも句がうれしそうなのと作者がうれしいのとは全く別の話で、作者はこの世の愉快をみずから味わうのではなく、向こう側の世界へ供物として捧げてしまうのだ  対象に没頭しているようで、その実なにも見ていない雰囲気を漂わせながら。

目に見える場所に、彼の見たいものが、きっとないのだろう。

この句集は〈にんげんのたましい〉には届かない世界を記録しようとしたという意味で、正しく〈ユーモア〉や〈ユマニスム〉の外にある。

おがたまの枝手放せば花は宙(そら)   四ッ谷龍