2016-12-02

旅立ちの音



高校生の頃、北海道の実家に帰るための飛行機のチケットがとれず(ちょうど冬の観光シーズンだった)いちどだけ上野発札幌行の寝台特急「北斗星」に乗ったことがある。

当時の「北斗星」は上野駅を発つとき、プラットフォームにいる駅員が大太鼓を連打して乗客を見送ってくれた。ゆっくりと力強く、なんども、乗客の耳に聞こえなくなるまで。大太鼓は、ここから始まる16時間の旅のはなむけだ。

わたしの人生で大太鼓鳴らすひとよ何故いま連打するのだろうか  柳谷あゆみ

わたしがこの歌から最初に想起したのは、

遠い太鼓に誘われて
私は長い旅に出た
古い外套に身を包み
すべてを後に残して

という村上春樹『遠い太鼓』の巻頭に掲げられているトルコの古い唄。掲歌が『ダマスカスへ行く 前・後・途中』という歌集に入っていることを知るやいなやますますこの想起は強められ、ああそうだ、船の出港のとき銅鑼が鳴らされるように、砂の海においても旅のいざないは《鳴りもの》という形で幻影化されるのがもっともふさわしい、と思った。