2016-12-22

ユーモアの外で(4)



四ッ谷龍『夢想の大地におがたまの花が降る』の「言語の学習」は東北地震の被災地を訪れた連作である。

この連作の特徴は「震災」というリアルな文脈の中にナンセンスな句がたっぷりと挿入されていること。深く傷を負った風景が安易な癒しへと流れてゆかないのは、この構成に負うところが大きい。

〈重苦しく沈む主題〉と〈軽やかに浮く細部〉とを織り合わせるというのは映画では珍しくない手法だ。この〈細部〉があってこそ、目の前にひろがる現実の非現実感がきわだちもする。この連作においても、いきおい視覚重視になりがちな震災地への思い入れが、聴覚重視のことばあそびの魔法によって、そのつどリセットされるような感じがある。

なななんとなんばんぎせるなんせんす   四ッ谷龍
仮の家また仮の家また躑躅   〃

「なななんと」といったことばあそびが「仮の家」のような現実的光景に対し徹底的に無関心を装うさまはわたしをとても安堵させる。なぜならナンセンスの精神とは、現実を物語化することへの最大級の抵抗だから。福島は物語にされてはならない。言うまでもなく「フクシマ忌」なる季語として「浄化」されることも。