2016-12-03

「なう」の歌と「いろは」歌



このタイトルだと越智友亮の〈焼そばのソースが濃くて花火なう〉を思い出す人もいるかもしれないが、本日の「なう」はそっちでなく古典の方。『閑吟集』に

後影(うしろかげ)を見んとすれば 霧がなう 朝霧が

という歌謡がある。つねづねこの「なう」が良いなあと思っていたのだが、あるとき小池純代の

うつくしう 
噓をつくなう 
唄うなう 
うい奴ぢや さう
裏梅のやう

という「なう」を知った。さらに眺めると各句の頭韻と脚韻が「う」で揃っている。こういった書き方もあるのかと思い、さっそく「いろはうた・いろはうた」の沓冠折句(くつかぶりおりく)を閑吟集風にこしらえてみた(なう、の意味が変わってしまったが)。

言ひかけた論より、見なう、花々は虚(うろ)よいざうろたへな残命  小津夜景

二回目の「いろはうた」は結句側から倒立で仕込んである。どうして「いろはうた」という言葉を選んだのかというと、これを書いたとき小池純代の「いろは歌」が念頭にあったから。

あけのちきりに   明けの契りに
すむこゑも     澄む聲も
いさやおほえぬ   いさや覺えぬ
まとろみへ     微睡へ

よせゐるふねは   寄せゐる舟は
そらゆめを     空夢を
うたひつくして   唄ひつくして
わかれなん     分れなん

うたかたを寄せ集めたような美しい歌。だが言葉はいつもこうあってくれるわけでなく、ときにこの世界をはっきりと名指す。無論その、はっきり、とてもうたかたなのだけれど。