このタイトルだと越智友亮の〈焼そばのソースが濃くて花火なう〉を思い出す人もいるかもしれないが、本日の「なう」はそっちでなく古典の方。『閑吟集』に
という歌謡がある。つねづねこの「なう」が良いなあと思っていたのだが、あるとき小池純代の
という「なう」を知った。さらに眺めると各句の頭韻と脚韻が「う」で揃っている。こういった書き方もあるのかと思い、さっそく「いろはうた・いろはうた」の沓冠折句(くつかぶりおりく)を閑吟集風にこしらえてみた(なう、の意味が変わってしまったが)。
二回目の「いろはうた」は結句側から倒立で仕込んである。どうして「いろはうた」という言葉を選んだのかというと、これを書いたとき小池純代の「いろは歌」が念頭にあったから。
うたかたを寄せ集めたような美しい歌。だが言葉はいつもこうあってくれるわけでなく、ときにこの世界をはっきりと名指す。無論その、はっきり、とてもうたかたなのだけれど。
後影(うしろかげ)を見んとすれば 霧がなう 朝霧が
という歌謡がある。つねづねこの「なう」が良いなあと思っていたのだが、あるとき小池純代の
うつくしう
噓をつくなう
唄うなう
うい奴ぢや さう
裏梅のやう
という「なう」を知った。さらに眺めると各句の頭韻と脚韻が「う」で揃っている。こういった書き方もあるのかと思い、さっそく「いろはうた・いろはうた」の沓冠折句(くつかぶりおりく)を閑吟集風にこしらえてみた(なう、の意味が変わってしまったが)。
言ひかけた論より、見なう、花々は虚(うろ)よいざうろたへな残命 小津夜景
二回目の「いろはうた」は結句側から倒立で仕込んである。どうして「いろはうた」という言葉を選んだのかというと、これを書いたとき小池純代の「いろは歌」が念頭にあったから。
あけのちきりに 明けの契りに
すむこゑも 澄む聲も
いさやおほえぬ いさや覺えぬ
まとろみへ 微睡へ
よせゐるふねは 寄せゐる舟は
そらゆめを 空夢を
うたひつくして 唄ひつくして
わかれなん 分れなん
うたかたを寄せ集めたような美しい歌。だが言葉はいつもこうあってくれるわけでなく、ときにこの世界をはっきりと名指す。無論その、はっきり、とてもうたかたなのだけれど。