2018-06-17

古屋翠渓『流転』1944





春のおとずれに胸を熱くしたのは、子供のころの良き思い出。雪のあいだに小さな命を見つけた時の感動は、北国ならではのよろこびでした。そんなわけで古屋翠渓『流転』より、1944年アメリカ大陸の春の句を。

ビーバーが倒した木も芽が膨らむので春
青む枝へみんながカツプを干すので春

井師より来状
動乱の世界を廻つて師の手紙が来た

この年は収容所で、荻原井泉水からの手紙を受け取っているようです。

ところで以前、とある自由律の俳人が「基本、若い自由律俳人は短律志向です。長律とどう向き合うかというのは私自身にとっての懸案事項でもあります。長律って難しいんですよ」と教えてくれたのですが、これ、体感的によくわかる話です。長律は短律より型が複雑、リズムに対する生来の運動神経を試される度合いも大きそう。書いてみようと思っても、なかなかうまくゆきません(目下、試行錯誤中)。