2018-06-21

花の我が家へ  古屋翠渓『流転』1945



『流転』の特筆すべき特徴のひとつは1945年の句が少ないこと。そしてまた、戦後ハワイに帰還した次の年の作品が一句も存在しないことです。

この本のあとがきによると、翠渓がもっとも俳句に励んだのは収容所での4年間だったのだそう。技術的なことを言えば、抑留時代よりそれ以外の時代の方が俳句の質はずっと高いのですけれど、決して質では測れない良さがこの時期の句には確かに感じられます。

そんなわけで1945年の句を順に読んでゆくと、ラストで胸が熱くなる。そして平凡ながら「ああ、死ななくて良かった」と思うのでした。

    春
はるかぜ、石も芽ぐんでゐる

囀りあちこち一羽はバブワイアに来て

    大統領逝去
星条旗の半旗が垂れてゐる

古いキヤンプとて軒端には桃の木などある

    風邪で入院
花にすずしい風が出て蜜蜂三つも来た

    祖国日本ポツダム宣言を受理終戦となる
柵の中から町の戦勝の狼煙上がるを見てゐる

秋空から渡されてこれが赦免状一枚


    一九四五年、四年ぶりに帰還の途に着く、オレゴン州にて
川に沿ふて下るほどに紅葉が青葉になる

    ワシントン州にて
木々の茂り霧立ち込めて知らぬ鳥鳴く

    乗船
青い草に雪がちらつく日を乗込みます

海の色や飛魚や布哇に近づく

海がさらに碧くなり鳥が見えさうな

出迎の人のなか妻子にかこまれてゐる

    帰宅
外の垣にも花の我家でご飯いただく

目さめて見てもわが家