2020-11-20

菊と渚





嵐の去った翌日、海を見に行った。

秋の雲が群れをなして、ぐんぐん流れてゆく。どこへゆくのだろう。未来、それとも過去に向かって? 海辺に立つと、思いははばたく。

重陽の日、府衙にて小飲す  菅原道真

秋よりこのかた 客思のいくばくか紛々たる
いはんや重陽の暮景の 曛 (く)るるをや
菊は園を窺はしめて 村老送り
萸は土に任すによりて 薬丁分かつ
盃を停めしばらく論ず 輸租の法
筆を走らせただ書く 弁訴の文
十八にして登科し 初めて宴に侍りしも
今年は独りむかふ 海辺の雲

讃岐に左遷されていた菅原道真が、重陽の日、役所でささやかな宴をひらいたことを書いた詩だ。風流とは縁のない田舎の県庁で、周囲の者が分けてくれた菊と茱萸で節句を片手間に祝いつつ、いつもどおり部下たちと地味な職務をこなす道真。都の詩臣であったはずの彼が徴税の方法を話し合い、判決文を書いてはひとりぼっちの気分で海辺の雲をながめているようすがとても胸にせまる。わたしはこの詩が好きで、近刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』では翻訳もしてみた。

渚にて金澤のこと菊のこと  田中裕明

田中裕明『花間一壺』は李白「月下独酌」をタイトルに冠するだけあって漢詩にまつわる句が多い。掲句も〈渚〉と〈菊〉の並びを見て、あ、道真の話をしていたのだなとわかった。いやあんた、そないてきとーなことゆうて〈金澤〉はどないしはんねん、という声が聞こえたので急いで付け加えると、讃岐に飛ばされる前の道真は加賀権守だったのだ。

道真にかぎらず当時の漢詩人は、中央の役職以外に、能登半島を中心とした日本海側の業務を兼任することが多かった。大陸から日本海沿岸にやってくる渤海使団の応接に漢文の教養が不可欠だったためだ。外交使節をもてなす詩宴の席というのはいわゆる「闘筆」の場(*1)にほかならない。そんなわけで菅原道真、島田忠臣、都良香、紀長谷雄、在原業平など今も知られる知識人たちが領客使を務め、国家の威信をかけて詩文の贈答を行ったのである。

それにしても、嵐のあとの海はほんとにきよらかだ。光も濡れてるみたい。わたしは砂浜に打ち上がった巨大な流木に腰掛けた。あいかわらず秋の雲はどんどん流れてゆく。華やかな祝日に、ひとり海辺の雲をながめていた道真の孤独をわたしは思った。きっと裕明も渚にたたずみ、目の前に広がる光に目を細めつつ、見える世界の向こうにかがようものを追いかけていたら、ふとまなうらに古代の人影がよぎったのだろう。

(*1) 酒寄雅志「渤海と古代の日本