夏はあるかつてあつたといふごとく 夜景
いつだったか野鳥愛好家の中西悟堂『フクロウと雷』を読んでいたら、彼は海が苦手で、倦怠感に引き込まれると書いてありました。すごくよくわかります。たぶん海のもたらす憂鬱は、同じ時間が永遠に引き伸ばされてゆくことの恐怖に由来している。海というのは、奇妙な懲罰性を孕んだ固有の時間を有していますから。
もちろん海は楽しいですよ。でもその楽しさのヴェールの裏には嘔吐を誘うような深いメランコリーがゆらめいていて、この二重性がまた曲者なの。とはいえ深い影をもたない海なんてつまらない。まちがったところに嵌ったら死ぬような遊びだからいいんです。海は。
以上、私のタラソフィリア(海への愛)についてでした。エドワード・ホッパーの海とともに。
2019-07-31
私のタラソフィリア
2019-07-30
夏の水風呂
ひんやりして気持ちのいい階段があった。花のタイルも風呂場みたいにシンプルだ。立ち止まって写真を撮っていると、知らない人が近づいてきて、代わりに撮ってあげますからそこに立ってくださいと言う。いいえ、と写真は遠慮したが、なりゆきでお茶をいただく。
枕草子の夏の水風呂 徐来
『支考全集』より。少しずつかじって、今日読み終わったばかり。
2019-07-29
緑廊にいると
夏座敷が恋しくなる。
とは言っても「夏座敷」という表現が似合うような立派な家には一度も住んだことがない。
自分にとって「夏座敷」とは、旅先や映画の中にしかない、とても良い香りのするフィクション。
夏座敷しいんとしいんとぼるへす 夜景
2019-07-28
泡雲の時間
飛行機から見下ろす積雲群は、綿よりも泡に似ていた。泡雲の時間。
雲にできる円形の虹も好き。光なのに生々しくて、地上からみる虹につきものの〈遠さ〉が全然ないのがおもしろい。
虹の輪に機影かさなる添ひ寝かな 夜景
デュラスと慈圓
往復書簡「LETTERS 古典と古楽をめぐる対話」は第8回「時と道と」。ワイルドローズの香り、距離の感覚と時間の感覚、自らの内にありながらも言語の外にある何か、増殖する円環、慈圓の歌、繰り返しと一回性の喜び。上はこちら、下はこちらからお読みいただけます。
マルグリット・デュラスの引用について。昔、須藤さんとメールしていて、デュラスの使っていたインクの色名の話になりました。それをたまに思い出し、そのたびに検索してみるのですが、いまだにわかりません。というか、まずもって万年筆のメーカーがわからない。ウォーターマン?(←当てずっぽうに言う)
慈圓の引用について。去年イシス編集学校の講座に招かれたとき、須藤さんから〈野趣〉をテーマにした花籠が届きまして、そこに添えられていたのがこの和歌でした。しかもこの花籠、学校側が当日配布した資料の表紙とぴったりで、なにをどう推理したらこんなことが可能なのかと。それとも直感力なのかな。
夢殿やくらげの脚をくしけづる 夜景
2019-07-27
ゼブラゾーンと鳥の果て
土曜日の読書「自分の名前」更新。引用は先週と同じ著者・木村洋平『遊戯哲学博物誌 なにもかも遊び戯れている』より。とても美しい本です。著者のプロフィールが気になってしまい、本のうしろを見たら、科学哲学を学んだ方で、ヴィトゲンシュタインの対訳・注釈書も書いてました。ううむ。科学哲学って憧れます。実際、学生の頃イギリス系科学哲学のゼミに数年いたのですが数学が全然できなくてぽかんとしているうちに病気で休学になったという悲しい思い出も。
と、こんなどうでもいい話を書くのは、ついさっき学生時代を思い出す衝撃的事件に遭遇したから。聞いてください。
私、近日発売の『ねむらない樹』に原稿を書いていまして、特集が「短歌の言葉と出会ったとき」というんです。で、たまたま今朝その予告チラシをみましたら、なんと執筆者の中に梅内美華子氏の名前があったんですよ。もしも依頼された枚数があと1枚多かったら、梅内氏のことを書こうと思っていたのでびっくりして、いまこれを書きながら指が震えてます。うお〜嘘でしょって。角川短歌賞をとったゼブラゾーンのころから知ってるんですよ。
空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道(ゼブラゾーン)に立ち止まる夏
梅内美華子
2019-07-25
海外在住者の選挙について
海外に住む日本人というのは選挙の時、各国の在外公館で期日前投票をするか、自分の名簿のある市区町村宛に郵便による不在者投票をするかのどちらかです(たぶん)。
ずいぶん前、在外選挙の投票用紙を記入して、日本のとある市町村の選挙管理委員会に郵送したら、こんな電話がかかってきました。
「もしもし。〇〇さんご本人ですか」
「そうです」
「こちらは日本の××市の選挙管理委員会です。在外選挙投票用紙が届いておりますが、これは投票するということでよろしいでしょうか」
「は? それ以外にどういう主張がありうるんですか」
「あ、はい。あと記入間違いなどは」
「投票用紙はあなたの手元にあるのに、どうやって私がそれを確認するんですか」
「そうですよね。お忙しいところ失礼しました」
実際のやり取りはもっと長かったのですが、わざわざ本人に電話してくるなんて気持ち悪くないですか。もしかしてこの人、いま内封筒の中身を眺めながら喋ってる?と疑うに値する行為。
選挙制度の問題を扱った本は多いけれど、在外者投票に関する言及というのは皆無なんですよね。それでふと同じ経験のある人っているのかなあと思って書いてみました。
2019-07-24
2019-07-23
そんなことより
同居人が羊のショーンを2頭抱えて、アイルランドから帰ってくる。なんで2頭も要るの?と聞いたら「一頭じゃ、飾ってもさまにならないから」とのこと。
アイルランドには一人で行動する妖精と大勢で行動する妖精との2種類が要るので、生活するときは注意しなければならないそうだ。下の写真(リムリック)みたいな場所にいると気軽に話しかけてくる。はあ。そんなことよりこの夏雲。こんなとこで暮らしながら俳句を作ってみたい。すごくブッとんだのができそう。
金平糖こぼし地球を去りゆかむ 夜景
2019-07-20
2019-07-18
水を背にして句を作れ
『澤』7月号より半年間の句評連載をします。あと『むしめがね』22号に四ッ谷龍『田中裕明の思い出』の感想を書きました。
『むしめがね』の方は私の手元に数部あるので、読んでみたい方に謹呈します(送料無料。ABOUT THIS BLOGをクリックすると連絡先があります)。「吟行の手引き」という実用的な特集があっておすすめです。内容は、
で、例えば1については一人、二人、数人、十人以上と細かく分けてそれぞれの注意点を述べています。
わかる。川沿いや街道沿いって歩くの楽しすぎるんですよね。また1に関連する話が7の「水を背にして句を作れ」で、これは岸本尚毅さんが波多野爽波から言われたことなのだそうです。たとえ水辺で吟行するにしても、水とは反対側の景色をじっくり観察することが、その土地の空気を大きくつかむことにつながるということ。ふうむ。
『むしめがね』の方は私の手元に数部あるので、読んでみたい方に謹呈します(送料無料。ABOUT THIS BLOGをクリックすると連絡先があります)。「吟行の手引き」という実用的な特集があっておすすめです。内容は、
1.吟行の人数/2.吟行の持ち時間/3.何句作るか/4.事前準備/5.自分の吟行地/6.吟行相手の選び方/7.水を背にして句を作れ/8.景勝地や観光名所での吟行/9.固有名詞/10.吟行と選句/11.吟行をしない人/12.おわりに
で、例えば1については一人、二人、数人、十人以上と細かく分けてそれぞれの注意点を述べています。
一人吟行で気をつけるべきことは、川沿いとか街道沿いにひたすら歩き続けるというようなコース取りをしないということである(一人吟行に限らないが、とくに一人の場合はこうなりやすいので注意が必要だ)。こういう歩きかただと、同じような風景を見続けることになって取材が単調になるし、歩くこと自体が目的になってきて吟行に来ているのかウォーキングに来ているのかわからない状態になるからである。たとえば川沿いに歩く場合は、直線的に歩くのではなく、川を逸れて近くの寺社を訪問するほうに時間をかけるというように、寄り道に力点をおいて、大きくジグザグに歩くとよいだろう。(1「吟行の人数」より)
わかる。川沿いや街道沿いって歩くの楽しすぎるんですよね。また1に関連する話が7の「水を背にして句を作れ」で、これは岸本尚毅さんが波多野爽波から言われたことなのだそうです。たとえ水辺で吟行するにしても、水とは反対側の景色をじっくり観察することが、その土地の空気を大きくつかむことにつながるということ。ふうむ。
2019-07-16
白粉の香り
川柳スープレックス「喫茶江戸川柳 其ノ伍」のメニューが「化粧」だったので、江戸俳諧の「化粧」も手持ちの本の範囲で調べてみました。
みじか夜やまだ白粉の香は残り 一雫
白粉にこころののこる雪見かな 文尺
夏と冬の恋。川柳とは味わいがずいぶん違います。
うの花や窓をのぞけば化粧時 半綾
初夏の部屋をちょいと覗く男。卯の花が涼しげです。これが川柳ならば下五が「ももんぐわあ」になるわけですね。
化粧する鏡の中や軒の梅 許六
なんとモダンな構図! しかも中国の「梅花粧」を匂いづけに使うといった、さりげないおしゃれも欠かしません。
白粉のともしに照るや神楽みこ 牧童
夕風や夏越しの神子(みこ)の薄化粧 大江丸
巫女さんの化粧って素敵ですよね。特に牧童の句の非日常感は『柳多留』のこんな川柳をちょっと思い出させます。
灯籠も恋の部に入る別世界 二丁
2019-07-15
〈世界の像〉を詠みこむ
〈世界の像〉が詠み込まれた昔の歌句を整理していて、こんな組み歌を作りたくなった。
ひさかたの天(あま)つみ空は高けれど背をくぐめてぞ我は世に住む
宗尊親王
かごめかごめ屈(かご)めと言はれ育ち来し籠の輪の中 狭し 島国
斎藤史
宗尊親王は鎌倉幕府6代将軍。初めての皇族将軍で、鎌倉歌壇を作りあげた人でもあります。
夕さればみどりの苔に鳥降りてしづかになりぬ苑(その)の秋風
宗尊親王
2019-07-14
2019-07-13
雲との対話
土曜日の読書「リハビリルームの雲」更新。引用はヘッセ『郷愁 ペーター・カーメンチント』より。
この世にはクラウドウォッチャーというのがいる。なかにはよく雲と対話するという人もいて、ああいうのは生まれ持っての才能なんだろう。雲は刻一刻と変化しつつも、つねに雄々しさと静けさとの両極を備えていてほとんど哲人みたいだから、会話もおもしろいんじゃないかしら。
私は雲をみると楽しい。でも話したことはない。雲の言葉がわからないのだ。雲はいつも外国語を話す。いや、雲に限らず、自然はどれも外国語を話している。彼らの話す外国語はとても沈黙に似ている。
思えば、世界に自分の心を投影し、それを読心術するといった体験は、ほんの小さなころから一度もなかった。
どんなに小さな世界に住んでいる人でも、飛ぶ鳥をみて、ここではないどこかがあることを悟っている。それと同じように雲も、この世界の彼方があることを教えてくれる。そしていつでも心だけがそこへ行くことができる。
2019-07-11
2019-07-10
喫茶江戸川柳 其ノ伍
川柳スープレックスの「喫茶江戸川柳 其ノ伍」更新。今回のテーマは化粧です。どれもマスターがいなかったら味わえないような濃さでした。それよりマスターの大学時代のサークル名、ほんとなのかしら(わたしは本気で信じてしまってます)。
*
前回の補足。長嘯子は芭蕉が大好きだった歌人で、彼の書き物にしばしば名前が出てきます。
すべて人をいかなる時にしのばざらんあはれ日又日あはれ夜また夜
長嘯子
こんな歌があるらしい。77の立体性がおもしろい。せっかくなので蛍の歌も。
あはれにもうち光りゆく蛍かな雨のなごりのしづかなる夜に
長嘯子
2019-07-07
遠くの海を眺めながら
まさか週刊俳句で小池純代さんの都々逸連載が読める日がくるとは。
なかぬ蛍と決めつけられて
人に聞こえぬ声で泣く
小池純代
*
紀野恵と小池純代はどちらも好きという人が多いけれど、これはとても不思議なこと。だって全然似ていないから。
私の中の紀野は藤原定家の末裔で「句切れ、語句の倒置・圧縮・飛躍、体言句の羅列」といった達磨歌的ダイナミズムが魅力。一方の小池は俳諧歌や狂歌の遺産を受け継いだ歌人で、内に秘められた箴言性が魅力です。近世和歌でいうなら、木下長嘯子や良寛のような異端も連想します。
世々のひとの月はながめしかたみぞと思へば思へば物ぞかなしき
木下長嘯子
あわ雪の中に顕(た)ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中にあわ雪ぞ降る
良寛
小池さんの歌は前衛的要素も大きいけれど、そちらは指摘する人が多そうだから、あえて上の二人を引いてみた次第。
2019-07-06
思い出よりも好きなもの
土曜日の読書「砂漠の約束」更新。引用はガストン・レビュファ『太陽を迎えに』より。モンブランに1000回以上登ったという伝説的アルピニストで、山の詩人として崇められてもいるレビュファ。彼は書くものだけじゃなく、登攀のようすも美しい。
アルプスの「6つの北壁」の登攀を描いた紀行文集『星と嵐 6つの北壁登行』は、昔は日本でもかなり読まれたらしいですね。本とは内容の異なる同名映画(1955年)もあって、こちらはチェリストで俳優のモーリス・バケとミディ針峰によじのぼる話。アルプスって日差しがものすごいんですが、それでも動画を眺めているとずいぶん涼しくなれます。
2019-07-05
涼を探して
私、これまでの人生で、こんなに西瓜が美味しかった夏ってないです。こんなに身体を冷やしてくれるものだったんですね西瓜って。
円涼し長方形も亦涼し 高野素十
このところ涼しい作品を探していて一番だった句。禅の世界に入っちゃってます。よっぽど参ってるんだなあ。わかる。ついでなので、涼しくない句も引いてみますと、
ぬけおちて涼しき一羽千羽鶴 澁谷道
澁谷道は好きな俳人です。しかしさすがに〈念〉を象徴する物体だけあって「千羽鶴」の一語が蒸し暑い。「千羽の鶴」との落差がもたらす「一羽の鶴」の涼しさ(=もののあわれさ)は、素十と同じ観念的演出ではあれど、本物の熱さ解消には不向きのようです。
さて。これから南極ペンギンの動画を見ます。
2019-07-03
明日はいつでも夢であるのだ
音楽というのは、日々たくさんの趣味をTPOで使い分けて楽しむものじゃないですか。休日にぴったりとか、だんぜん朝の音だよねとか、冬の夜に聴きたいなとか。あと気候や環境が変わって、それまで愛していなかったジャンルと一挙に心が通じ合ったりとか。その一方、状況をこえる一曲というのもある。うちはごはんのとき、しょっちゅうティボー&コルトー&カザルスの「大公」をかけます。これ聴くとおいしくなるんですよ。
前置きが長いですが、本もそうやって一手間かけて楽しみたいと思うんです。が、この夏、涼しい作品がぜんぜんぱっとしない。涼しさではもの足りなくて、キンキンに冷えたものが読みたいらしい。暑いから。
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきやゆきふみわけて君を見むとは
在原業平
これくらいひんやりしてるといい感じ。業平で遊んだ紀野恵の、
思いきや雪踏み分けて松原に寒さ嫌ひの君を見むとは
紀野恵
もいいですね。この歌の入っている、昔の恋人との手紙のやりとりを連作にした「書簡集」は、べらぼうに力が抜けていてほんと好き。特に下の流れのとこ。
〈理解〉と〈共通の思ひ出〉を有するに至つたむかしびとに。賀状に書きて送る。
さまざまに過ぎてし花やこの春もむかしの春も君をこそ思へかへし
春はなほ石山寺の梅苑の〈思のまま〉の発く日に待つまたまたかへし
待つといひながら待たぬが御癖の思ひのままといふはまことかさう言はれればさうであるので(私は頼りない)
春さへも何かつねなる飛鳥川明日はいつでも夢であるのださて、会はずなりにけり。
2019-07-01
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