2019-07-03

明日はいつでも夢であるのだ




音楽というのは、日々たくさんの趣味をTPOで使い分けて楽しむものじゃないですか。休日にぴったりとか、だんぜん朝の音だよねとか、冬の夜に聴きたいなとか。あと気候や環境が変わって、それまで愛していなかったジャンルと一挙に心が通じ合ったりとか。その一方、状況をこえる一曲というのもある。うちはごはんのとき、しょっちゅうティボー&コルトー&カザルスの「大公」をかけます。これ聴くとおいしくなるんですよ。

前置きが長いですが、本もそうやって一手間かけて楽しみたいと思うんです。が、この夏、涼しい作品がぜんぜんぱっとしない。涼しさではもの足りなくて、キンキンに冷えたものが読みたいらしい。暑いから。

忘れては夢かとぞ思ふ思ひきやゆきふみわけて君を見むとは
在原業平

これくらいひんやりしてるといい感じ。業平で遊んだ紀野恵の、

思いきや雪踏み分けて松原に寒さ嫌ひの君を見むとは
紀野恵

もいいですね。この歌の入っている、昔の恋人との手紙のやりとりを連作にした「書簡集」は、べらぼうに力が抜けていてほんと好き。特に下の流れのとこ。

〈理解〉と〈共通の思ひ出〉を有するに至つたむかしびとに。賀状に書きて送る。
さまざまに過ぎてし花やこの春もむかしの春も君をこそ思へ

かへし
春はなほ石山寺の梅苑の〈思のまま〉の発く日に待つ

またまたかへし
待つといひながら待たぬが御癖の思ひのままといふはまことか

さう言はれればさうであるので(私は頼りない)
春さへも何かつねなる飛鳥川明日はいつでも夢であるのだ
さて、会はずなりにけり。