2016-10-19

月の裏側のフランス人





日仏文化比較の本や在仏体験談などを読むとき必ずといっていいほど目にするフランス社会の特徴に「自己主張が強い」とか「自分の意見のない人間は他人から相手にされない」とかいったものがある。

こういう脅し(?)を読むたび、不思議な気持ちになる。なぜならわたしはフランス人に自己主張されたことがないから。だからこちらもぼんやりしていられて、気楽だ。

これがわたしの妄想というわけではない根拠となりそうなエピソードをひとつあげる。

わたしがパリを離れて最初に住んだのはトゥールーズというピレネー山脈に近い町だったのだが、この町に来たばかりの頃ある人から「ホニャララは好き?」と質問され(ホニャララの内容は忘れた)、パリにいたときの調子で「いいえ」と答えた。するとその人は笑いながら「フランス語ではね、質問を否定するときは『いいえ』と言わないで『はい。でも…』とか『はい。場合によりますが…』とか『はい。あ、ちょっと待ってください、実際はどうだろうなあ…』とかいった風に『はい』で始めるんだよ。『いいえ』と言って奇妙に思われないのはパリだけ」と教えてくれた。

その時は「まさかあ。もしかしてパリに対する僻み?」と思ったのだが、あれから10年、周囲を観察していて、たしかにいきなり何の躊躇もなく「ノン」と言う人を見ることはあまりない(役所の職員みたいな立場の人は除く)。もっともいきなり「ノン」と言うこと自体はまったく悪ではなく、わたし自身がかつてそうだったように、言葉のエレガンスに欠ける人と思われるだけの話だ。

ともあれ、フランス語を操る能力の低い子供や外国人にとって、この国のニュアンスに富むコミュニケーションはときどき月の裏側のように謎である。そしてまた、えてしてノンノン言いがちなこの「言語ゲームにおける他者たち」の生き様について、ここでヴィトゲンシュタイン風なことを書いてクールに日記を終えたいところなのだが、そんな芸当はたとえ日本語であっても無理なのであった。